祭りと消防団

へんぽらいの祭り談義「秩父夜祭-消防団と祭り」平成20年12月5日より転載し、富士宮の事情を大幅に加筆したものです。

前回見に来たのは何年前だったでしょう。消防団在職時代だからかれこれ10年ほど経つのでしょうか。
3日の見せ場には都合がつかず、前日の2日に訪れたもののあいにくの雨。残念ながら引き回しは中止となり、街を歩き回りました。ふと立ち寄った書店には作美陽一さんの「大江戸の天下祭り」が山積みされていたのを思い出します。作美さんが秩父の方だったからという事でしょうか。この名著も今では入手が困難で、古書でもプレミアがつく状態だといいます。
ある屋台蔵に立ち寄った時に、警備の消防団員の方とお話をさせていただいき、自分たちも地元で消防団員をやっている事を話し消防団の防寒着を見せると、親しみを感じていただいたものか蔵の中まで案内していただき、詳しく説明を聞く事が出来ました。
残念ながら引き回しは見られなかったけれど、それが思わぬ収穫でした。
その時一緒だった消防団先輩の石川さんに声をかけていただき、12月3日に秩父の夜祭りを再訪しました。
最初に見かけたのは秩父駅前の交差点で、本町屋台が方向転換をしているところでした。

写真左側に見える方たちは警備の消防団員でしょうか。


手前のアポロキャップの方も消防団のようです。


屋台の後方の方も、それぞれ消防団関係者のように見えます。
やはり、地域を守る消防団は祭りにもしっかり参画しているんですね。

富士宮の場合

わが富士宮市でも祭りと消防団の結びつきは強いものです。
地元の祭りに関わる青年層は、自営が多く地域の消防団員を兼ねている事が多いです。
地元の祭り以外の催しなどにも、市からの依頼があれば出動しています。

開山祭の手筒花火


7月10日の富士山山開きの日の夜、浅間大社境内の神田川ふれあい広場で手筒花火が行われます。
次々と100本程の手筒に火がつけられ、火の粉を吹き上げる山開きの祭典です。

富士山御神火まつり

市街東西に別れ繰り出します

赤々と燃える御神火を御神火台に戴き、市街を練り歩きます。
この警備に辻々に消防ポンプを配し、火の警戒に当たります。


点火前に御神火台と参加者達が清めの水煙をくぐります。
そしてフィナーレの神田川上りの後に御神火を消火したあとで、また水煙をくぐります。
ウォーターカーテンという水の膜を作り延焼を防止するホースを、御神火まつりでは左右両側から放水し、清めと消火、火照り鎮めに使用します。


我が出身分団が、それを担当しています。

富士宮まつり
ある祭りの夜、放火事件があり担当の町中の消防ポンプが駆けつけると、何台ものポンプ車から下りてきたのはそれぞれの町内の祭袢纏を着た若者たちでした。引き回しを終えた頃、ホッとする間もなく出動がかかりましたが、管轄内の火災では出ない訳には行きません。
素面の人間が居たので出動出来、火災も小火で放水の必要が無かったのが幸いでした。

秋まつりに関わる区域での消防活動で顔を合わす人間は、それぞれの町内で祭りに関わっているものが殆どだと言えます。
住民の生命財産を守る消防団員は、地域の伝統文化も併せて守っているのです。

消防団、がんばれ!

岸和田のだんじり祭

岸和田だんじり祭が奥の深いものだったこと

岸和田市役所からの電話

9月の祭りスケジュールに祭りの写真を使いたいので、岸和田だんじり祭のサイトからお借りしてアップし、その旨をメールでお知らせしたところ9月祭礼の日程紹介なのに、使用した写真は10月祭礼のものである事を教えていただきました。

浅慮の至りです。誤解が広まるのを避けるために、書き換えました。

岸和田のだんじり祭(大阪府岸和田市)
9月祭礼 9月の第3月曜日(敬老の日)直前の土日開催
10月祭礼 10月の第一土日開催

岸和田の10月祭礼 写真提供:岸和田市

書き換えた部分です。「岸和田のだんじり祭には9月祭礼と10月祭礼があって、写真は10月祭礼のものですよ。」という言い訳です。
でも、9月の祭り紹介に10月祭礼の写真では違和感は否めませんので、10月の祭りスケジュール掲載の際にはしっかりとどちらも書き直そうと思います。

岸和田だんじり祭

改めて岸和田市のサイトを見ると9月祭礼と10月祭礼が紹介されています。
※平成29年度資料を基にしていますので、日程や順番などは年により変わります。

岸和田城とだんじり 写真提供:岸和田市

だんじり祭として一般に知られているのは、岸和田城や岸城神社付近の岸和田地区で行われるだんじり祭ですが、大阪府岸和田市で行われるだんじり祭は2種類あって、岸和田地区春木地区で行われる9月祭礼と、東岸和田地区、南掃守地区、八木地区、山直地区、山直南地区、山滝地区で行われる10月祭礼に分けられます。

平成30年9月祭礼(岸和田地区・春木地区)だんじり祭マップ

平成30年度岸和田だんじり祭交通規制のお知らせ

平成30年 岸和田だんじり祭開催に伴う団体バス有料駐車場のご案内

平成29年10月祭礼(東岸和田地区・南掃守地区・八木地区・山直地区・山直南地区・山滝地区)だんじり祭マップ

個々にマップが有り紹介されているのですが、全域の位置関係を見るには判りにくい物なので、googlemapで、宮入りする神社や催しが行われる場所にマークしてみました。

9月祭礼は青いマーカー、10月祭礼は赤いマーカーで示しています。

9月祭礼は沿海部で行われ、10月祭礼は内陸で行われるのが判ります。

マップ操作について

マップ上部タイトルの左に有るアイコン左クリックで画面左に宮入り神社や場所名が表示されます。
どれかを選んで左クリックすると、左画面にはその場所の説明が、右画面中央にその場所のマーカーが白丸の中に表示されます。
左画面を消すにはマップ上で1回左クリックすると左の説明画面から場所名一覧に戻ります。
もう1回左クリックで一覧画面が消え、前面にマップが表示されます。

PCで大きな画面で御覧になる場合には、このマップ上部タイトル右端の四角いアイコンをクリックして下さい、ブラウザ一杯にグーグルマップが広がります。

9月祭礼

岸和田パレード
岸和田パレード28年 写真提供:岸和田市
岸城神社

9月17日に岸城神社に宮入りする15台のだんじり

順位 町名 時刻
宮1番 宮本町 9時30分
宮2番 上町 9時38分
宮3番 五軒屋町 9時46分
1番 北町 9時54分
2番 中之濱町 10時02分
3番 大北町 10時10分
4番 本町 10時18分
5番 紙屋町 10時26分
6番 大手町 10時34分
7番 堺町 10時42分
8番 中町 10時50分
9番 中北町 10時58分
10番 大工町 11時06分
11番 南上町 11時14分
12番 南町 11時22分

 

岸和田天神宮

9月17日に岸和田天神宮に宮入りする6台のだんじり

順位 町名 時刻
天1番 沼町 10時00分
天2番 筋海町 10時15分
1番 並松町 10時30分
2番 別所町 10時45分
3番 藤井町 11時00分
4番 下野町 11時15分

 

春木地区パレード
春木地区パレード28年 写真提供:岸和田市
弥栄神社

弥栄神社に宮入りする15+1台のだんじり

9月17日

順位 町名 時刻
番外1番 春木南 7時00分
1番 春木旭町 8時30分
2番 大道町 8時30分
3番 春木本町 8時30分
5番 春木中町 9時15分
6番 磯之上町 9時15分
7番 戎町 9時15分
8番 春木若松町 10時00分
10番 松風町 10時00分
11番 八幡町 10時00分
12番 春木宮本町 10時45分
13番 春木宮川町 10時45分
15番 春木大小路町 10時45分

 

10月祭礼

東岸和田地区 PDF
東岸和田だんじり祭 写真提供:岸和田市

東岸和田パレード 10月8日 PM1:00~
①葛城町 ②阿間河瀧町 ③真上町 ④土生町 ⑤土生瀧町 ⑥神須屋町  ⑦流木町
⑧作才町 ⑨極楽寺町 ⑩畑町 ⑪八田町

宮入り
10月7日
八代龍王神社(真上龍王神社の事か?) AM9:00より真上町

10月8日
土生神社 AM9:45より土生町
波多神社 AM10:00より畑町
岸和田天神宮 AM9:00より作才町
矢代寸神社 AM7:30より ①八田町 ②流木町 ③極楽寺町 ④神須屋町 ⑤真上町
本年度神輿当番町真上町

矢代寸神社神輿渡御 写真提供:岸和田市

意賀美神社 AM9:00より ①土生瀧町 ②阿間河瀧町 ③葛城町

南掃守地区 PDF
南掃守だんじり祭 写真提供:岸和田市

南掃守祭礼パレード 10月7日㈯13:00〜
 番外チビッコだんじり ①植松町 ②山下町 ③尾生町 ④福田町 ⑤中尾生町
⑥下松町 ⑦八阪町 ⑧西之内町

梃子連主催下松駅前大集合 10月8日㈰13:15〜
①中尾生町 ②上松町 ③尾生町 ④八阪町 ⑤山下町 ⑥下松町 ⑦福田町 ⑧西之内町

八木地区  PDF
八木だんじり祭 写真提供:岸和田市

夜疑神社宮入り 10月7日㈯午前8時半〜
①中井町 ②吉井町 ③荒木町 ④下池田町 ⑤箕土路町 ⑥西大路町 ⑦小松里町
⑧額町 ⑨額原町 ⑩大町 ⑪池尻町

行基参り 10月8日㈰午前9時〜
①池尻町 ②大町 ③額原町 ④額町 ⑤小松里町 ⑥西大路町 ⑦箕土路町 ⑧下池田町
⑨荒木町 ⑩中井町 ⑪吉井町 ⑫田治米町 ⑬今木町

山直地区 PDF
山直地区だんじり祭 写真提供:岸和田市

8町パレード 10月7日㈯午後1時半〜
①東出 ②三田 ③田治米 ④山出 ⑤摩湯 ⑥大西 ⑦小倉 ⑧今木

10町連合パレード 10月8日㈰午後1時30分出発
①東出 ②山直中 ③大西 ④小倉 ⑤山出 ⑥包近 ⑦三田 ⑧多治米 ⑨今木 ⑩摩湯

山直南・山滝地区 PDF
山滝地区だんじり祭 写真提供:岸和田市

大澤神社宮入り 10月7日㈯午前7時 ①大澤

山直神社神輿渡御 写真提供:岸和田市

山直神社宮入り 10月7日㈯午前10時半〜
①下出 ②内畑 (神輿渡御)

8町パレード
 10月7日㈯午後1時半〜
①稲葉東 ②内畑 ③山直中 ④稲葉西 ⑤大澤 ⑥包近 ⑦下出 ⑧積川

積川神社宮入り 10月8日㈰午前10:30〜
①積川 ②稲葉東 ③稲葉西 ④山直中 ⑤包近

3町パレード 10月8日㈰午後12時〜13時
①内畑 ②大澤 ③下出

6町パレード 10月8日㈰午後1時半〜
①稲葉西 ②稲葉東 ③積川 ④内畑 ⑤大澤 ⑥下出

 

 

動画紹介

動画共有サイトYoutubeにアップされた岸和田だんじり祭の動画の数は凄いものですが、その中から1つ共有させていただきました。

けやきの神

2016/09/16 に公開

チャンネル登録 254
いよいよ明日9/17,9/18ですね これを聞いて気持ちを高めましょう チャンネル登録→ https://www.youtube.com/channel/UCJiM…

 

感想

9月祭礼と10月祭礼に別れているとは言うものの、パレードや宮入りが行われる場所がこれだけたくさん存在しているのが凄いと思いました。

だんじりの曳行が、これだけ多くの人たちに愛され浸透していることで、生活に根付いただんじりを通して、地域のまとまりが作られて居るのだと実感します。

テレビで報じられるシーンは勇壮に疾駆するだんじりであったり、ハラハラする見せ場のやりまわしだったりしますが、それはごく上辺の事。
地域内の結束を高めたり、連携し合ったりする事などにおいて、だんじり祭を介して地域の結びつきがそれぞれに強固な物になっていると感じます。

 

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富士宮まつりの踊り

へんぽらいの祭り談義2008.11.13「踊る」より転載加筆したものです

村上喜巳さんが昭和42年に書かれた冊子「大宮浅間秋祭り・大宮祭りばやし夜噺」にこんな記述があります。

「又、民謡、流行歌、俗曲等に合せて踊る、群舞形式(地踊り)も大正末期までには無かったものである。殊に昭和初期の一と頃長唄の『元禄花見踊』『五郎』清元の『神田祭り』等の本格的日本舞踊の一節を抜粋して踊った群舞形式(地踊り)が流行したことがあるが、あの形式も明治末期から大正年間を通じての私の“大宮祭り”の記憶には無いのである。」

また神立区誌には次のような記述があります。
昭和3年昭和天皇ご即位の大祭の所です。

「市内で初めて手踊りを取り入れて欠畑(かけばた)まで囃し、踊り歩き、町中をアッと言わせた。『さすが神立』と言われ、いかにも神立青年らしい。記録には『ああ、愉快、愉快』と結んであった。」

曲目は『関の五本松』を踊ったとの事。

どうも富士宮秋まつりでの踊り(群舞形式《地踊り》)が始まったのは昭和初期、御大典の頃のようです。

昭和3年御大典当番町7ヶ町(大和、常磐、神田、松山、寿、神立、貴船)の記念写真

現在、引き回しの合間と競り合いの後などに踊りは盛んに踊られています。

「富士宮音頭」「富士宮秋まつり歌」「富士大宮」といった伝統的な3曲は共同催事の際に必ず踊られ、個々の引き回しの際にはそれ以外にも自由な曲が踊られています。

3日夜恒例の湧玉高嶺との競り合いの後、交互に新曲での踊りを披露し合い、最後に一緒に踊ったもの。

近年会所などを訪問した際に、新しい踊りを披露し合う事が多いです。
楽しげに踊る姿は見ていても楽しいもの。

湧玉福地が宮本会所前で披露したオリジナルの踊り。

湧玉神立が宮本会所前で披露したオリジナルの踊り。

全ての引き回しを終えての踊りです。

楽しむために踊る。それが一番じゃないでしょうか。

「近年流行歌、民謡、一時的な流行を遂い、なんでもかんでも踊りさえすればよい、とする大宮祭りの乱脈さが激しく募って、浅間秋祭りに純萃な郷土芸能的な創意工風が生ずべき気運の兆しをさえ阻んでいる。」

前出の村上氏はこう嘆いていますが、踊る事で嬉々として祭りをもり立ててくれる人たちが居るからこそ、祭りは続いているとも言えます。

祭りが皆の楽しみであれば、異論を挟む余地はありません。祭りは続いてゆくのです。

祭りが楽しみであるためには、はやり歌でも良いんじゃないか。
踊る人たちの笑顔を見るたびに、そう思います。

==関連サイト==

富士宮まつり
 祭り年表

へんぽらいの祭り談義
 踊りを含む記事

富士宮市の祭り2 スライドショーとBGM


富士宮市で行われる祭りや催しをフォルダーにまとめ、PCのスクリーンセーバーでスライドショー表示したものを録画し、Youtubeに用意されたBGMをつけました。

スライドショーが無音では寂しいとお思いの方、試してみてはいかがでしょうか。

知ってるつもりの祭り談義

へんぽらいの祭り談義2008.10.10投稿より転載、加筆


10月1日から祭りの準備が始まりました。
午後7時前に区民館を開け、子供らの来るのを待ちます。
小学生のお囃子の練習が午後8時まで。それが終わると中学生以上の練習が午後9時まで。生意気盛りの子供たちに振り回されながら、これが月半ばまで続きます。
成人囃子方メンバーに変動はなかなか無いから、おぼえるための練習ではなく磨きをかけるための練習なのですが、なかなかメンバーが揃いません。
足りないところに入って補助するのですが、習うべき人間より現役を退いた人間の方が練習量が多いってのは、なんともおかしな話です。
青年や囃子方が来ても来なくても、区民館の鍵を預かっている以上毎日出かけ、戸締まりをするまで詰めています。区民館が出来て30年余、祭り準備が始まるとこんな生活。
準備から片づけ、囃子方から諸役、資料作りから会計報告まで三十数年間で大体の事は経験したつもりですが、見えないところで起きている事はまるっきり判らないのが実状です。

お祭りが終わると、酒席などで祭り談義が盛んに交わされますが、立場が違えば見えるものがかなり違う事を思い知らされます。

群盲、象をなでるがごとしですね。

     = 北斎漫画より =

手探りで象はこんな物だと口にするのは、間違いでは無いけれどそれは象の一部でしか無い。
触れる物が違えば、それぞれにまったく違った感想となります。
大きな物の全体像を捉えていないから、ちぐはぐでわけのわからないものに映るわけです。

祭りも役職などその人の居るポジションで、見えるものが違います。
また、すべてのポジションを経験するには、年月がかかるもの。

わずかな経験で「祭りはこんなもの」などと多寡をくくらずに、祭りがもっともっと大きいものだという事は、ぜひ知っておいて欲しいものです。

がむしゃらに祭りに没頭できるのもせいぜい5年から10年。家族を持ち、仕事に追われれば自由も効かなくなります。
無理ながんばりは続かないものだから、長い目で無理のない、先を見据えた運営が必要です。
醒めたからと言って、祭りを投げ出すわけにも行きません。
最低限、仕事を分担出来る頭数を維持する事が一つの課題です。

祭りが区内老若男女多くの楽しみであるうちは、祭りは続いてゆくものだけれど、誰かにそっぽを向かれるようになったら赤信号です。
常に目配りは必要です。

==参考リンク==

「祭り」この大きな生き物

富士登山と囃子奉納

へんぽらいの祭り談義より転載、加筆

富士宮囃子の基本形は、締太鼓(きんど)2名、長胴太鼓(おおど)1名、篠笛1名、摺り鉦1名の5名。締太鼓の二人は基本のリズムを刻み、長胴太鼓は笛のメロディーに対応し、締太鼓にかけ合って変化をつけます。摺り鉦は締太鼓に対応しリズムを補完します。
全体のリードをとるのは篠笛で、篠笛の合図で中胴(太鼓中央の締太鼓)が号令をかけ、切り替えや終了を行います。

平成10年頃宮本青年団で企画された囃子奉納

昔、 囃子方が散逸し正規の構成が組めなかった頃は、笛無しで太鼓だけと言うことも多々ありました。しかし笛無しの囃子は言ってみれば色のない写真のようなもの。心 浮き立たすという囃子の働きは半減してしまいます。せっかくの富士山頂奥宮への囃子奉納は出来れば欠けることのない正規の囃子でありたい。しかし以前の惨憺た る登山を思い出せば、どうしても尻込みしてしまいます。

とは言え、ここで逃げたら男がすたります。前轍を踏まぬようにどうすれば良いかを考え、腹を決めました。

笛を吹くためにはまず高度馴化です。無理せずじっくりと時間をかけて登りましょう。脚力や体力は前回よりもっと衰えているのだから、一歩一歩を小刻みにし、急坂は回り込んで足への負担を出来るだけ避けて行きましょう。

登 山はひたすらマイペースでゆっくりゆっくりと登り、山頂に着いたのは新五合目を出てから8時間以上経っていました。山頂表口の山室富士館は我が町内の先輩が経 営しているので、そこにお世話になりました。夜、翌日の奉納を控え室(むろ)の外でお囃子披露の練習をしました。時間をかけて登ったので高度馴化は問題なく笛を吹く余力も十分 に残っていましたが、山頂の夜は真冬並みに冷え笛を吹く指が寒さに凍えました。

写真は翌日の囃子奉納の時の物です。
幸い好天にも恵まれ、囃子も無事に奉納することが出来ました。

日本一の高山とはいえ、十分な時間をかけ無理をせずに登れば、体力のない物でも登ることが出来ます。この時それを強く実感することが出来ました。
体力のない物でも富士山に登ることは出来る。
前回は苦しい思いばかりで、そんなことは思いもつかなかったことですが、良い例があります。70才以上で富士山に登った人たちの高齢者登山の会があるのです。
2年に一度浅間大社参集所で総会を開いていて、私がその記念撮影を承っています。
時間に追われ、予定が狂い、無理をしてしまうことは決して良い結果には結びつきません。日程に十分な余裕を持ち、無理をしないで何日かけてでもゆっくり登れば、いつかは山頂にたどり着きます。
富士山に登るにはそんなゆとりが欲しいものです。

平成15年の思い出

へんぽらいの祭り談義より転載、加筆

浅間大社青年会が出来たのは昭和49年1月で、私は最年少会員としてその頃から参加していました。平成15年には創立30周年を迎え、記念事業の一つとして富士山頂奥宮 に囃子を奉納するということになり、私はすでに卒業していたのですが、毎月の囃子練習に顔出しをしていたことからお誘いをいただきました。

それは7月の梅雨明け間もない頃でした。
前回の地元青年団の奉納登山で登れる自信はあったけれど、どうせ若い者にはかなわないのだから、もっぱらマイペースを心がけました。でも前回の8時間超は何とか 短縮したいので極力休憩はせず、疲れたら金剛杖にもたれて休み、呼吸を整えてはまた登りました。休憩している仲間を横目に見ながらこの間に先に進んだのですが、あっ という間にまた追い越されました。

山頂に到着したのはやはり最後尾でしたが、所要時間は前回の8時間超を大幅に短縮する6時間半ほどでした。
奥宮に挨拶し、浅間大社青年会の先輩が経営する山頂富士館に泊まりました。

翌日はご来光を見て、落ち着いたところで囃子を奉納しました。

仲間が見守ります。

登ってくる登山者を励ますために、囃しました。


眼下に広がる雲海に向け囃すのは、何ともいえず爽快です。


お鉢めぐりで剣が峰に。
その後ぐるっと回って久須志神社にも立ち寄り、ウナギをご馳走になりました。


下山前にもう一度富士館前で囃しました。

登山下山とも中腹にかかる雲は、雨具を着ていても結露で体を濡らし体力を消耗させるので、なかなかやっかいでした。しかし雲を突き抜けた時のあの達成感と爽快感は、めったに味わうことは出来ません。

翌年囃子保存会で囃子奉納登山を計画したのですが天候にたたられ、延期したのですがまた悪天候で結局中止になりました。

今年平成20年は浅間大社青年会の創立35周年と言うことで再度囃子奉納が計画され、今回もお誘いいただきました。あれから5年経ち体力にはめっきり衰えを感じているのですが、高齢者登山のようにマイペースで時間をかければ何とかなるだろうと思います。

時間がかかるのを覚悟して前夜から先発し、満天の星を見ながら夜山を登るのも良いなと今から楽しみにしています。

20年に浅間大社青年会の企画に参加

平成20年7月26日
必死で登るも最後尾で、かろうじて山室の夕食に間に合いました。

7月27日
疲れもあって一旦は寝入ったようだが、うとうとしては目覚め、それを繰り返して朝になりました。

山室で起こされたのは午前4時。朝食をいただいて外に出たのが4時半頃。
外に出ると目の前の駒ヶ岳には御来光を求めて、すでに黒山の人だかりが出来ています。
残念ながらもぐり込むのはあきらめ、山頂の朝の荘厳さをどのように伝えようかと考えて、雲海に射す日射しを狙ってみた。


遠くにある雲は積乱雲か、暗部に時折稲光が走ります。
その雲が登り来る太陽に顔を向けるさまざまな獣に見えます。
まだ太陽は地平の下です。

駒ヶ岳右の端です。険しい崖がせまるので前にも行けません。
シルエットの向こうに御来光を感じます。

雲海に陽が射し込むのは、ご来光が昇ってからです。
日射しを浴びて雲が動き始めます。
万物に命を吹き込む太陽は偉大です。

平成20年7月27日、浅間大社青年会が浅間大社奥宮にお囃子を奉納します。
前日登山した10名に、夜行登山で着いたばかりの4名が加わりました。
山室が開くのは午前5時。まだ陽の射さぬ夜明けの野外は凍えそうに寒かったとの事。

午前6時より奥宮に正式参拝を行います。

午前7時、奥宮に向けお囃子を奉納。

御来光から6時過ぎまでは奥宮前は登山者でごった返していましたが、混雑も少しおさまったところです。

奉納する囃子方の面々。

続いてお世話になった富士館さんに向けお囃子を披露しました。一人色違いの袢纏は富士宮囃子同好会第一世代のもので、笛を吹いている最年長の私です。


最後の難所「胸突き八丁」を登ってくる登山者を励ますために、雲海に向けて囃しました。

その後の富士登山

25年も囃子奉納登山は企画されましたが、20年の下山で痛めた膝が不安でパスしました。

28年の奥宮竣功で囃子奉納登山が企画されましたが、夜行登山の強行軍なので同行は断念。
でも膝は完治していたので、奥宮の撮影で3回登りました。

スライドショーには JavaScript が必要です。

合計10日間滞在し最終日未明に好条件にやっと遭遇。
地平線が白む頃から御来光までじっと待ちました。

そして29年

29年は建て替えられた鳥居の渡り初め取材と星空撮影で7月に1回、

終期の9月にもう1回登りました。

今までは、浅間大社青年会の周年記念に富士登山囃子奉納が企画されていたのですが、今年30年は45周年になるのですがその話はありません。
どうやら一昨年の奥宮竣功に予定を早めたために、今年は見送りとなったようです。

話があるとすれば、5年後の50周年でしょうか。
私も71歳になってしまうので、高齢者登山の仲間入りとなります。
2-3日かければ登れるかな。

声をかけてもらえるように練習には顔を出し、健康で長生きしなくては。

==関連リンク==

富士山頂10日目の絶景

祭りと露店

Yahoo!地図の浅間大社航空写真表示をキャプチャーしたものです。

Yahoo!地図の航空写真表示で富士山本宮浅間大社を見たところです。
境内に立ち並ぶ多くの露店が見られることから年に2回の大きな祭りのいずれかだと思われ、広範に詳細に調べた所平成24年11月4日正午近くだと判明しました。

この様に祭りには欠かせない露天商ですが、富士宮まつりの歴史に於いて露天商が一つも出店しない祭りが一度だけありました。

昭和54年11月3日富士宮まつり初日に撮影された我が町内湧玉宮本の記念撮影です。
なんで屋台がここまで入っているかと言えば、境内には祭りだというのに一つも露店が出店していなかったからなのです。
浅間大社西隣が我が町内で、ここに入るには西鳥居の石段を下らなければなりません。
迂回路もあるのですが、気をつければ大丈夫と強行されました。
引き綱を後ろに回し、梃子方が前に着き慎重に進めるのですが、慎重すぎて後ろで引き綱を持つ者たちが力を緩めず、なかなか下りられなかったのを憶えています。


富士宮市教育委員会制作「無形民俗文化財 富士宮ばやし②宮参り

この年に撮影された8㎜映画、「富士宮ばやし」にも正面参道を進む各町内の宮参り一行が映っています。しかし例年なら両側に立ち並ぶはずの露店が何もありません。

じつはこの年に露天商を束ねるテキ屋と地元の暴力団の抗争があり、殺人事件にまで拡大したため、当局から市民が報復行為などの巻き添えになる事を怖れ、出店の自粛が要請されこれに露天商が従ったためでした。

一方で、各町内の祭りは通常通り行われたので、えらく閑散とした宮参り風景となってしまいました。露店が出ないと聞いていたはずの子供達も、それでも浅間大社に来て、本当に露店が一つも無いのを見てとてもがっかりしていたのを憶えています。

祭りの賑わいは露店あっての物、引き回しをしない地域の子供達にとっては、祭りの思い出はお囃子や山車や屋台より露店での買い物の方なのでしょう。

あんな寂しいお祭りは、もう見たくありません。

 

==参考リンク==

無形民俗文化財富士宮ばやし①解説  富士宮市教育委員会が製作の8㎜映画 昭和55年頃

無形民俗文化財富士宮ばやし③引き回し  富士宮市教育委員会が製作した8㎜映画 昭和55年頃

女子囃子方山車に乗る

== 平成19年10月12・13日の「へんぽらいの祭り談義」に書いたブログに、少し加筆し転載したものです。 ==


数年前のニュースで、あの伝統有る京都の祇園祭でも山鉾への女性参加が容認されたと言う記事を読み感慨深い物がありました。

私の町内で女性の囃子を山車に乗せたのはかれこれ20年前になりますが、時の流れは歴史有る祭りにもようやく変化を起こさせたのでしょうか。
富士宮では屋台に芸者衆は乗せたけれど、山車に関しては女人禁制という傾向が昔からありました。今でこそ女性も囃子方として山車に乗る事も多いですが、最初は女性を乗せるについては抵抗も多く、それを変えるには大きな衝突が起こることは目に見えていました。

20年ほど前(昭和末期)のわが町内の状況と言えば、現役青年がわずかに5名。勧誘に歩いても居留守を使われるなどことごとく不発に終わるのは、昔青年だった青年後見の無頼のごとき悪行の数々が嫌われたからに他なりません。
そんな状況なのに、頼み込んでやっと出て貰った娘さんを後見が朝まで連れ回すという事件があってからは、年頃の娘さんの参加はお願いできなくなりました。
青年の5名というのも、どん底の青年3名の頃中学生だった2名が、高校を卒業して加わっただけ。事態は変わっていたわけではありません。

昭和57年 湧玉宮本山車復元

昭和57年に屋台を元の山車に復元したのも、青年主体の運営から区主体に切り替わる前でしたから手不足に拍車をかけ、かなりの重荷になっており、現役青年には明るい未来など何も見えませんでした。

そんなところに囃子をやりたいという女の子が現れたのです。
以前から囃子は希望が有れば誰にでも教えていました。先輩諸氏からは教えることには面と向かって文句は言われませんでしたが、女は山車には乗れないからと何度も釘を刺されました。

2年目か3年目には何とか囃子も物になり、その熱心さになんとか乗せてやりたいと思うようになりました。

思えばあれは小心者一世一代の叛乱であったかも知れません。

神社の神主さんに相談すると、
「神事に於いて女人禁制の場所は厳としてあるけれど、神楽や舞には女性も加わっている。神様を祀る場所と囃子の場所をしっかりと区切るなら女性が囃子で乗っても良いのでは。」
というご意見をいただきました。

区の顧問でいらっしゃったお隣の先生には話をしましたが、「乗せるのか」と一言言っただけで了解していただきました。戦前の祭りで青年長を経験している方ですので、それがどれだけ重いことかは十分承知した上でのことです。

後見とトラブルになることは、こちらも承知の上です。
少ない青年で結束し覚悟を決め、いよいよその日を迎えました。意を決し、初めて女子を山車に乗せたその夜。いやが上にも高まる緊張とは裏腹に、打ち上げまでは不思議なほど和気藹々と順調に進みました。
やがて散会となり、年寄り、後見と参加者を皆送り出して緊張の糸がほっと緩んだその時でした。
「何だとこの小僧!」

と言う怒声が会所の外に響き渡りました。

騒ぎが起きたら女の子は裏口から逃がし、近くに用意した車に匿う。
とにかくそれだけは決めてありました。

玄関から走り出ると、梃子棒を振り上げた後見が他の後見に羽交い締めにされ、なだめられているところ。後ろ手に戸を閉め、ここは通すまいと身構えると「この野郎!仁 王立ちなんかしやがって」との怒声が飛んできましたが、暴れた後見は引きずられ遠ざかっていきました。梃子棒を振るわれた青年に怪我を聞くと、 かすったぐらいで済んだとのこと。

騒ぎを聞きつけて顧問がやって来ました。見れば祭り衣裳のままです。
こんな事態が起こることを見越して家で待機されていたようです。
「先生、俺は悔しくてならない」
先ほどの後見に梃子棒を手渡した後見が言いました。
他所の町内の人間に宮本の山車は女を乗せるのかとからかわれ、それが悔しいと涙をぽろぽろ流して訴えています。

その人の囃子方時代には山車は屋台に作り替えられていたので、山車に乗った経験はない。現役の囃子方には遠慮するにしても、自分も乗れない山車に女が乗るのは到底納得できない。おまけにそれを他町の人間に言われたからなおさらのこと。

巡る思いはいろいろあったのでしょう。
でもそれがお祭りを大事に思っての事だったなら、現状の八方ふさがりにはならなかったはず。

顧問は「女を乗せて何が悪い」「言った奴を連れてこい。俺がじっくり教えてやる。」と懇々と諭してくれましたが、結局話はかみ合わず、最後には後見もあきらめて一礼をして去っていきました。

この後町内では女の囃子方が山車に乗るのは公認され、瀕死だった祭りも何とか息を吹き返しました。

女子供を安心して祭りに出すことが出来ず、青年層にそっぽを向かれるような無頼を気取った祭りでは、町内からも賛同が得られません。たとえ屋台を山車に作り替えたところで、やがては滅びるしかありません。ここが大きな分かれ目だったと思います。

事態が限界まで閉塞してしまうと、静かに終末を待つか、風穴を開けて打開を図るかのどちらかです。けっして伝統を軽んじたわけではありません。

あれは先行きに希望を見いだすための大きな決断でした。

昭和54年露天商の出ない祭り

山車復元前の屋台は、囃子方を乗せても下に5-6人居れば押して歩けるほどの軽量でした。
暴力団抗争で露店が出なかった54年には西門の石段を下り、楼門前の馬場で記念撮影までしています。
でも山車ともなるとそうは行きません。区を挙げての実施体制への移行がどうしても必要でしたが、体制がやっと整ったのはこの数年後でした。

山車に女性を乗せたのは間違いではなかったと自負していますが、今現在、男の囃子方がなかなか残らないのが最大の悩みです。

今では女子対女子で競り合いが行われることも多くなりましたが、20年前のあの頃には考えられなかったことです。


空洞化する旧市街の宿命で、あれからも少子化は進行し世帯数も祭りを始めた頃より2/3ほどに減っていますが、祭りは何とか続けています。どん底の時代を乗り越えたのだから、現状はまだマシな方。

若い者達の健闘を祈ります。

2018/6/11

==参考リンク==

富士宮まつり 富士宮まつり公式サイト

富士宮囃子と秋祭り 富士宮囃子保存会による資料庫

富士宮口富士山開山祭

元は7月1日が富士山の山開きでしたが、近年雪解けの遅れから山開きが遅れる事が続き、現在静岡側では7月10日を山開きと決めました。
平成30年富士宮口富士山開山祭 

浅間大社

登山バスの到着を待ち歓迎セレモニーが行われ、次いで浅間大社拝殿で開山奉告祭が行われます。山岳救助隊の結団式、英国公使の歓迎なども。
写真は平成29年7月10日

平成30年富士宮口富士山開山祭 

村山浅間神社

村山浅間神社では水垢離で身を清め、護摩焚きが行われます。
写真は平成28年7月10日

平成30年富士宮口富士山開山祭 

浅間大社ふれあい広場

白糸原文殊菩薩手筒花火保存会が手筒花火を披露します。
写真は平成27年7月10日

スライドショー

動画

平成27年開山祭での手筒花火です。

平成30年富士宮口富士山開山祭 

高円寺阿波おどり 東京観光 夏祭り

[4K]高円寺阿波おどりTokyo dance Koenji Awa Odori(dance) Festival 東京観光 夏祭り

2017/08/29 に公開

チャンネル登録 6.7万
August2017 高円寺阿波おどりは、東京周辺では最大規模の阿波踊りで、発祥地の徳島に次いだ規模を誇る約1万人が踊り、東京の代表的な夏祭りの1つでもあり、今では夏の風物詩として定着している。また本場である徳島県からも参加がし、遠方からの参加者も多い。毎年8月下旬(最終の土曜・日曜)に開催される。 Tokyo・Koenji Awa Odori(dance) Festival The Koenji Awa odori(dance) has grown to be counted as a major summer event of Tokyo. Awa odori(dance) is a traditional form of dance that originated over 400 years ago in Tokushima on the island of Shikoku. Held every summer on the last Saturday and Sunday of August in the Koenji district of Tokyo. Almost10,000 dancers and musicians from 169 dance groups parade along the streets of the neighbourhood. The musicians parade along with the dancers, usually playing the lively Awa odori (dance)music on traditional Japanese instruments such as shamisen lutes, taiko drums, shinobue flutes and kane bells.

関連リンク

高円寺阿波踊り NPO法人東京高円寺阿波おどり振興協会

日程 : 2018年8月25日(土)・26日(日)※少雨決行

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