富士宮まつり 富士山の麓の山車祭り
目次
概要
富士宮まつりは浅間大社秋季例祭に、氏子町内が祭り囃子を賑やかに囃しながら山車や屋台を引き回し、収穫と一年の無事を感謝するものです。11月の3日から5日まで行われ、勇壮な競り合いを売り物に20の町内が実施しています。
浅間大社で前日祭が行われる初日の3日には豊作と1年の無事を感謝し、これから行われる祭りの安全を祈って宮参りが行われます。山車は町内に残し、祭りの参加者が隊列を組み太鼓を担ぎ、道囃子を囃しながら大社に詣でます。お祓いを受け、全区囃子方による囃子が奉納された後、御幣を受領し、大宮木遣りに送られて帰途につきます。
宮参りから帰着後、引き回しが行われます。要所要所で踊りを披露し、競り合いなども夜まで賑やかに行われる事から、祭りの初日は“宵宮”と呼ばれています。
浅間大社で本祭が行われる中日の四日には浅間大社周辺に山車・屋台を集結させ、“本宮”が行われます。
勢揃いの後浅間大社前で式典を行い、一斉に囃子を奏した後に踊りを踊ります。その後山車を移動させ目抜き通り各所において勇壮な競り合いや踊りなどを繰り広げます。
ギャラリー
スライドショー
タイルカラム
ムービー
関連動画です
奉納囃子
初日宮参りでの奉納囃子です。
競り合い
湧玉宮本と湧玉神立の競り合い
関連サイト(祭にっぽん管理人が製作管理しています)
富士宮まつり 富士宮まつり青年協議会製作の公式サイト
富士宮市は浅間大社の門前町として発展した町です。
大社の歴史が1200年近くもあることから、収穫に対し感謝する秋祭りは神社の中ではそのころより行われていたはずです。また山車や屋台の引き回しも昔から行われていたようですが、現存する資料などからは江戸時代にまでさかのぼることができます。
明治時代末に大宮町に青年組織が作られた後、祭がそれぞれの町内で盛んに行われるようになりました。昭和初期絹糸業とともに町は栄え、新たな町内が独立し、生まれ、祭は爛熟期を迎えました。
昭和30年代後半から50年頃まで青年層の祭り離れなどで実施区は減り祭りは低迷しましたが、現在では復興し20区が山車・屋台を所有し祭りを行っています。富士宮まつりは毎年11月3日から5日にかけて行われる、富士山に間近い山車祭りです。
富士宮まつりについて
富士山本宮浅間大社と富士宮市
富士宮囃子
関連組織・団体
令和元年競り合いマップ
交通アクセス
令和元年富士宮まつりスケジュール
令和元年協賛企業一覧
リーフレット
富士宮囃子と秋祭り 富士宮囃子保存会による富士宮まつりの資料集
1.袖日記
江戸時代に大宮町の造り酒屋「桝彌」の当主が記した日記。
2.大宮浅間秋祭り・大宮祭ばやし夜噺 村上喜巳氏 (昭和42年5月5日)
元富士宮市祭ばやし保存会評議員村上氏による秋祭りの回想と意見。
3.囃子方の弁 井上歳丸氏 (昭和41年3月12・15日 岳南朝日)元宮本区長の井上氏による富士宮囃子の解説。
4.富士宮囃子1 若林英雄氏 (昭和56年11月20日)|元神田区長の若林氏による富士宮囃子の解説。
5.富士宮囃子2 遠藤輝夫氏 (昭和57年10月)|湧玉会で長年各祭組に囃子を指導してこられた遠藤氏による富士宮囃子の解説。
6.加藤長三郎氏講演より (平成元年5月30日)|秋祭り青年協議会で浅間大社の祭事係も永年勤められた神田区の長老加藤氏を招きお話を伺った。
7.笛今昔 有賀敏治氏 (平成元年11月)|湧玉会で長年笛を吹いてこられた有賀氏が書かれた回想。
8.秋祭り 佐野雅則 (平成元年9月)秋祭り青年協発行のパンフレットに書いた祭案内。
9.英文解説(平成12年)|秋祭りパンフレットの案内を秋祭りサポーターズクラブが英訳した物。
各地区会所マップ
1.富士宮まつり祭典本部
2.高嶺会所
3.宮本会所
4.神立会所
5.貴船会所
6.松山会所
7.羽衣会所
8.大中里会所
9.神賀会所
10.福地会所
11.琴平会所
12二の宮会所
13.神田会所
14.浅間会所
15.城山会所
16.木の花会所
17.常磐会所
18.大和会所
19.咲花公会堂
20.瑞穂会所
21.阿幸地会所