祭にっぽん

富士登山と囃子奉納

へんぽらいの祭り談義より転載、加筆

富士宮囃子の基本形は、締太鼓(きんど)2名、長胴太鼓(おおど)1名、篠笛1名、摺り鉦1名の5名。締太鼓の二人は基本のリズムを刻み、長胴太鼓は笛のメロディーに対応し、締太鼓にかけ合って変化をつけます。摺り鉦は締太鼓に対応しリズムを補完します。
全体のリードをとるのは篠笛で、篠笛の合図で中胴(太鼓中央の締太鼓)が号令をかけ、切り替えや終了を行います。

平成10年頃宮本青年団で企画された囃子奉納

昔、 囃子方が散逸し正規の構成が組めなかった頃は、笛無しで太鼓だけと言うことも多々ありました。しかし笛無しの囃子は言ってみれば色のない写真のようなもの。心 浮き立たすという囃子の働きは半減してしまいます。せっかくの富士山頂奥宮への囃子奉納は出来れば欠けることのない正規の囃子でありたい。しかし以前の惨憺た る登山を思い出せば、どうしても尻込みしてしまいます。

とは言え、ここで逃げたら男がすたります。前轍を踏まぬようにどうすれば良いかを考え、腹を決めました。

笛を吹くためにはまず高度馴化です。無理せずじっくりと時間をかけて登りましょう。脚力や体力は前回よりもっと衰えているのだから、一歩一歩を小刻みにし、急坂は回り込んで足への負担を出来るだけ避けて行きましょう。

登 山はひたすらマイペースでゆっくりゆっくりと登り、山頂に着いたのは新五合目を出てから8時間以上経っていました。山頂表口の山室富士館は我が町内の先輩が経 営しているので、そこにお世話になりました。夜、翌日の奉納を控え室(むろ)の外でお囃子披露の練習をしました。時間をかけて登ったので高度馴化は問題なく笛を吹く余力も十分 に残っていましたが、山頂の夜は真冬並みに冷え笛を吹く指が寒さに凍えました。

写真は翌日の囃子奉納の時の物です。
幸い好天にも恵まれ、囃子も無事に奉納することが出来ました。

日本一の高山とはいえ、十分な時間をかけ無理をせずに登れば、体力のない物でも登ることが出来ます。この時それを強く実感することが出来ました。
体力のない物でも富士山に登ることは出来る。
前回は苦しい思いばかりで、そんなことは思いもつかなかったことですが、良い例があります。70才以上で富士山に登った人たちの高齢者登山の会があるのです。
2年に一度浅間大社参集所で総会を開いていて、私がその記念撮影を承っています。
時間に追われ、予定が狂い、無理をしてしまうことは決して良い結果には結びつきません。日程に十分な余裕を持ち、無理をしないで何日かけてでもゆっくり登れば、いつかは山頂にたどり着きます。
富士山に登るにはそんなゆとりが欲しいものです。

平成15年の思い出

へんぽらいの祭り談義より転載、加筆

浅間大社青年会が出来たのは昭和49年1月で、私は最年少会員としてその頃から参加していました。平成15年には創立30周年を迎え、記念事業の一つとして富士山頂奥宮 に囃子を奉納するということになり、私はすでに卒業していたのですが、毎月の囃子練習に顔出しをしていたことからお誘いをいただきました。

それは7月の梅雨明け間もない頃でした。
前回の地元青年団の奉納登山で登れる自信はあったけれど、どうせ若い者にはかなわないのだから、もっぱらマイペースを心がけました。でも前回の8時間超は何とか 短縮したいので極力休憩はせず、疲れたら金剛杖にもたれて休み、呼吸を整えてはまた登りました。休憩している仲間を横目に見ながらこの間に先に進んだのですが、あっ という間にまた追い越されました。

山頂に到着したのはやはり最後尾でしたが、所要時間は前回の8時間超を大幅に短縮する6時間半ほどでした。
奥宮に挨拶し、浅間大社青年会の先輩が経営する山頂富士館に泊まりました。

翌日はご来光を見て、落ち着いたところで囃子を奉納しました。

仲間が見守ります。

登ってくる登山者を励ますために、囃しました。


眼下に広がる雲海に向け囃すのは、何ともいえず爽快です。


お鉢めぐりで剣が峰に。
その後ぐるっと回って久須志神社にも立ち寄り、ウナギをご馳走になりました。


下山前にもう一度富士館前で囃しました。

登山下山とも中腹にかかる雲は、雨具を着ていても結露で体を濡らし体力を消耗させるので、なかなかやっかいでした。しかし雲を突き抜けた時のあの達成感と爽快感は、めったに味わうことは出来ません。

翌年囃子保存会で囃子奉納登山を計画したのですが天候にたたられ、延期したのですがまた悪天候で結局中止になりました。

今年平成20年は浅間大社青年会の創立35周年と言うことで再度囃子奉納が計画され、今回もお誘いいただきました。あれから5年経ち体力にはめっきり衰えを感じているのですが、高齢者登山のようにマイペースで時間をかければ何とかなるだろうと思います。

時間がかかるのを覚悟して前夜から先発し、満天の星を見ながら夜山を登るのも良いなと今から楽しみにしています。

20年に浅間大社青年会の企画に参加

平成20年7月26日
必死で登るも最後尾で、かろうじて山室の夕食に間に合いました。

7月27日
疲れもあって一旦は寝入ったようだが、うとうとしては目覚め、それを繰り返して朝になりました。

山室で起こされたのは午前4時。朝食をいただいて外に出たのが4時半頃。
外に出ると目の前の駒ヶ岳には御来光を求めて、すでに黒山の人だかりが出来ています。
残念ながらもぐり込むのはあきらめ、山頂の朝の荘厳さをどのように伝えようかと考えて、雲海に射す日射しを狙ってみた。


遠くにある雲は積乱雲か、暗部に時折稲光が走ります。
その雲が登り来る太陽に顔を向けるさまざまな獣に見えます。
まだ太陽は地平の下です。

駒ヶ岳右の端です。険しい崖がせまるので前にも行けません。
シルエットの向こうに御来光を感じます。

雲海に陽が射し込むのは、ご来光が昇ってからです。
日射しを浴びて雲が動き始めます。
万物に命を吹き込む太陽は偉大です。

平成20年7月27日、浅間大社青年会が浅間大社奥宮にお囃子を奉納します。
前日登山した10名に、夜行登山で着いたばかりの4名が加わりました。
山室が開くのは午前5時。まだ陽の射さぬ夜明けの野外は凍えそうに寒かったとの事。

午前6時より奥宮に正式参拝を行います。

午前7時、奥宮に向けお囃子を奉納。

御来光から6時過ぎまでは奥宮前は登山者でごった返していましたが、混雑も少しおさまったところです。

奉納する囃子方の面々。

続いてお世話になった富士館さんに向けお囃子を披露しました。一人色違いの袢纏は富士宮囃子同好会第一世代のもので、笛を吹いている最年長の私です。


最後の難所「胸突き八丁」を登ってくる登山者を励ますために、雲海に向けて囃しました。

その後の富士登山

25年も囃子奉納登山は企画されましたが、20年の下山で痛めた膝が不安でパスしました。

28年の奥宮竣功で囃子奉納登山が企画されましたが、夜行登山の強行軍なので同行は断念。
でも膝は完治していたので、奥宮の撮影で3回登りました。

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合計10日間滞在し最終日未明に好条件にやっと遭遇。
地平線が白む頃から御来光までじっと待ちました。

そして29年

29年は建て替えられた鳥居の渡り初め取材と星空撮影で7月に1回、

終期の9月にもう1回登りました。

今までは、浅間大社青年会の周年記念に富士登山囃子奉納が企画されていたのですが、今年30年は45周年になるのですがその話はありません。
どうやら一昨年の奥宮竣功に予定を早めたために、今年は見送りとなったようです。

話があるとすれば、5年後の50周年でしょうか。
私も71歳になってしまうので、高齢者登山の仲間入りとなります。
2-3日かければ登れるかな。

声をかけてもらえるように練習には顔を出し、健康で長生きしなくては。

==関連リンク==

富士山頂10日目の絶景

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