山あげ祭2012年 泉町若衆の山あげ ~伝統をつなぎゆく意気と粋~

2013/02/23 に公開

山あげ祭2012年の祭礼から、泉町若衆の山あげ祭の真髄・準備シーンを中心に構成してご紹介します。H24年7月27(金)~29日­(日)。当番町は「泉町」。 ★DATA 動画と静止画のミキシング 動 画 :LUMIX DMC-GH2+LUMIX G VARIO 7-14mm & HD14-140mm/AVCHD形式記録(1920×1080)を変換 静止画: SONY α-900 28~75mm、70~300mm

富士山 宮おどり

平成27年8月1日にデュエットのお二人にご訪問いただき唄と写真のコラボを打診され、富士宮市の歴史と祭りを歌い込んだ「富士山 宮おどり」に私の写真と動画をコラボさせPV風に編集しました。
この動画には、地元のお友達が多数写真に写り込んでおります。

富士山 宮おどり

唄 デュエット

作詞 大塚幸栄

作曲 大塚香寿彦

写真・PV 佐野雅則

秋田竿燈まつり

写真提供:秋田竿燈まつり公式サイト

秋田竿灯まつり

「竿燈」 最終更新 2018年2月28日 (水) 01:47 「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より部分引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%BF%E7%87%88

以下の写真は祭にっぽん管理人佐野雅則が撮影したものです。


竿燈(かんとう)は、毎年8月3日 – 6日に秋田県秋田市で行われる祭り。祭りの正式名称は「秋田竿燈まつり」。

竿燈全体を稲穂に、連なる提灯を米俵に見立て、額・腰・肩などにのせ、豊作を祈る。重要無形民俗文化財に指定されており、青森のねぶた祭り、仙台の七夕まつりと並んで東北三大祭りの1つとされる。また、二本松提灯祭り(福島県)、尾張津島天王祭(愛知県)と並び、日本三大提灯祭りにもなっている。2000年までは8月4日 – 7日の日程で開催されていたが、東北地方の他の祭と日程が重なりやすかったため、2001年から1日前倒しして現在に至っている。

歴史

笹や合歓木に願い事を書いた短冊を下げ、それを手に練り歩き川へ流して真夏の邪気や睡魔を払う「眠り流し」が原型とされている。眠り流し自体は江戸時代以前より行なわれており、宝暦年間には現在の原型があったとされ、五穀豊穣や無病息災、技芸上達を願って、旧暦7月7日にあわせて行われる七夕行事とともに、旧暦7月15日のお盆を迎え入れるために一連の行事として現在の形になったとも言われている。「眠り流し」という言葉が訛り、秋田市では「ねぶり流し」と呼んでいる。

竿燈は、外町(町人町)に住む職人や商人によって始められ、お盆に門前に立てる高灯籠を持ち歩けるようにしたのが竿燈の始まりとされている。次第に灯篭も数十個と下げるようになり、力を競うようになっていった。蝋燭や提灯が町民にも普及したことや、力よりも技を競うようになったことで現在の形になったとされている。いつから現在のような形態になったのかは定かではないが数々の資料から背景を探ることができる。寛政元年に書かれた「雪の降る道」には、現在の竿燈に近い姿の絵が描かれている。文化11年に書かれた「秋田風俗問状答」には平手で竿燈を持ち上げている絵が描かれている。慶応3年(1867年)に書かれた「出羽の道わけ」には頭に乗せて演技する姿が描かれている。

竿燈の語源は景徳傳燈録の百尺竿頭須進歩からヒントを得て、大久保鐵作によって名付けられたとされている。また、昔は作り灯篭ネブリナガシ七夕とも呼ばれていた。

概要

大きさ

大若 中若 小若 幼若
重さ 50kg 30kg 15kg 5kg
長さ 12m 9m 7m 5m
提灯の数 46個 46個 24個 24個

  • 五つの基本技(流し、平手、額、肩、腰)があり、それぞれの場所に乗せ、バランスをとる。どの技も力強く、観客を魅了する。中には、口や顎で支える者もいる。
  • 熟練者は、上記の技を和傘を回したり扇子で扇ぎながら行う。多くの傘を持ったり、両手に持ったりと華やかな演技をする。また、一本歯(天狗下駄)を履いて上記の技を行う強者もいる。

また一本歯を履いて口で演技を行う強者もいる。見ることが出来たら、貴重である。

  • 継竹(竿燈を高くしていくもの)を多く継いで、高くなった竿や大きく湾曲した竿燈を操るのも見物だ。継竹が重さに耐えることができなくなると、折れてしまうこともある。継竹には装飾を施した物もあり、大きな傘の骨組に花を付けた花傘(発祥:城町)や、火消の目印となった纏(発祥:八日町)が取り込まれている。この2つは多くの町内が使用している。この他に、勇み人形(発祥:本町六丁目)と呼ばれるものがあり現在はこの町内しか使用していない。

提灯

  • 竿燈に使われる提灯には、鮮やかな町紋や社章が描かれている。この町紋には縁起物が多い。上米町一丁目は「兎の餅つき」、上米町二丁目は「伊達牡丹」など絵で町内が判断できる。それぞれ町の繁栄など願いを込めて描かれたもので、諸説あるが佐竹義和が描いたとされている。
  • 提灯には、雨によって貼った和紙が溶けないように表面に油が塗られている。また、燭台の両脇に空気を通すための穴があり、倒れてしまった時に穴から風が入り、火が消えるように工夫されている。しかし、木や電柱に引っ掛かったり倒れ方が悪いと稀に燃えてしまう。
  • 本番は10000個を超える提灯が夜空に輝く。その提灯は職人がすべて手作業で製作している。

囃子

  • 竿燈囃子には「流し囃子」と「本囃子」の二つがある。流し囃子は、竿燈が会場へ向けて入場するとき、町内へ帰るときに演奏される囃子である。本囃子は、竿燈が演技をするときに演奏する囃子である。それぞれの町内によって微妙に音調が違う。
  • 竿燈囃子は一つの太鼓を二人で叩く。本囃子は上太鼓と下太鼓にパートが分かれて叩く。それに笛が入り、町内によっては鉦を用いる。
  • 古くから伝わる秋田囃子や土崎の湊ばやし、佐竹氏が転封前に治めていた常陸国の天神ばやしが竿燈囃子の原型といわれている。
  • 本番期間中はトラックを装飾した屋台に太鼓を乗せ、屋台の上で演奏する。町内によって様々な屋台が登場する。トラックがない時代は荷車を装飾した曳き屋台に太鼓を積み、歩きながら演奏していた。近年、曳き屋台も制作する町内が増えている。

掛け声

  • 竿燈には掛け声があり、「ドッコイショー ドッコイショ」掛け声をかけ盛り立てる。ドッコイショとは、重い物を持ち上げることに対することばである。
  • 近年、夜竿燈の際に昔使っていた掛け声を現代に伝えようとする試みも行われている。

「ドッコイショー ドッコイショ ドッコイショッショ ドッコイショ オエタサー オエタサ 根ッコツイタ オエタサ ドッコイドッコイドッコイショ」という掛け声を耳にする。重い物を持つ「ドッコイショ」の他に、稲が田にしっかりと根付き、生長していることを意味し豊作の願いが込められている。竿燈が、手、額、肩、腰に乗り、ピタッと静止した様子が稲がしっかり根付いている様子を思わせることからこの掛け声になった。また、夜竿燈終了の際に、竿燈締めが行われ、「ヨォー ドッコイショー ドッコイショ ドッコイショッショ ドッコイショ」の掛け声を手を叩きながら観客と共に会場が一つになり行われる。

祭りの流れ

御幣渡し

  • 竿燈まつり初日の3日の朝に千秋公園内にある八幡秋田神社に各町内・企業の代表が集まり行われる。期間中の安全を祈願し、竿燈の先端に付ける御幣と御札をもらう大事な儀式である。

昼竿燈

戦後から、竿燈や囃子の技術を保存させるために竿燈妙技会を毎年開催している。

  • 直径6mの円の中で、基本演技が忠実かつ安定しているか、型の美しさなどを競う。
  • 団体戦、個人戦、囃子方があり、団体戦は「規定演技」と「自由演技」の2つがある。
  • 小若の大会も行われ、「規定演技」と「囃子方」が行われる。
  • 4日から5日まで大若の予選が行われ、6日は大若、小若の決勝が行われる。
  • エリアなかいちのにぎわい広場で行われ、雨天時は秋田市立体育館で開催される。過去には、通町や中土橋通りで行われている。

保戸野鉄砲町は団体規定演技において2度の4連覇をしている。個人戦では、同町内から4年連続チャンピオンを輩出している。また平成23年には、「自由演技」「個人戦」「囃子方」において、秋田県立大学が優勝し三冠を成し遂げた。

  • 妙技会以外にも駅前のアゴラ広場やスポンサー先など様々な場所で竿燈が上げられている。

夜竿燈

  • 竿燈のメインは、夜に行われる竿燈である。小雨決行だが雨量が多いときは中止となる。
  • 竿燈大通り(二丁目橋〜山王十字路の間)で行われている。昔は、大町や茶町、通町などで行われ、街灯、電線の設置や観客の増加に伴い、楢山グラウンド、土手長町、広小路、千秋公園、山王大通り、新国道などと転々としてきた。
  • 多くの町内、企業が参加し270本以上の竿燈に灯が灯り、光の稲穂の競演が始まる。途中2回の移動を行い、計3回の演技を行う。3回目終了後は「ふれあい竿燈」があり、実際に小若、幼若の竿燈を持ったり、大若と記念撮影をしたり、太鼓を叩いたりできる。
  • 大半の町内にはスポンサーがついており町内の竿燈とスポンサーの竿燈を上げているが、スポンサーをつけない町内もある。中でも川反五丁目竿燈会は川反の店舗の協力で行っており、垂れ幕を下げて演技を行っている。
  • 観覧席や沿道の上にはロープが張られており、倒れても被害が出ないようになっている。2010年までは提灯も飾られていたが、東日本大震災による節電対策で撤去されている。
  • 夜竿燈で使用されて短くなった蝋燭は、安産祈願のお守りとして配られている。

御幣流し

  • 竿燈まつり終了後の朝(8月7日)に各町内・企業の代表が刈穂橋(馬口労町通り)に集まり、真夏の邪気や睡魔と共に一斉に旭川に流す。

千社札

 「千社札」 最終更新 2017年9月27日 (水) 17:56 「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より部分引用

千社札(せんじゃふだ)とは、神社や仏閣に参拝を行った記念として貼る物で、自分の名前や住所を書き込んだ札のことである。愛好家では、「せんしゃふだ」と発音する。

紙製が多く、木札や金属製の物も存在する。江戸時代中期以降に流行しており、次第に手書きから木版製に移行した。近年だとシール状の物が多く、ゲームセンター等に設置されている専用機から名前等を入力して作成することも可能。実際に張る時には、相応の許可を得るか、張っても良いことを確認する必要が有る。

神社仏閣に納札する為の単色刷りで、屋号や土地名、模様と名前をスミ刷にした貼札(はりふだ)と呼ばれる題名札と、色を何色も使い、デザインにも凝った色札(いろふだ)と呼ばれる交換納札が有る。

「題名を記した札(題名札)が貼られている間は、参籠(さんろう:宿泊参拝)と同じ功徳がある」と言う民間信仰での風習から、日帰り参拝者が参籠の代わりに自分の札を貼った事から始まり、神社仏閣の許可をもらって御朱印を頂いた上で千社札を張るのが本来の慣わしである。神社仏閣に無断で貼ったり、剥しにくいシールを貼ったりするのは、不道徳である。

奉納の時は、通常だと目立つ所へ貼るが、「隠し貼り」と言って「風雨に晒されず目立たない所に貼ること」もある。手軽に作れる事から、本来の用途と異なる用途で使用される(車、家、自分の物などに、名札代わり等として付けたりする)ことも有る。

 


千社札は守るべき伝統文化です

【天下祭と山王さん】千社札 Night:3331 Arts Chiyoda:アーツ千代田 3331

神田明神|東京都千代田区外神田2-16-2|文化事業 – 大江戸・千社札

 

ルールをわきまえぬ真似事は止めよう

許可無く札を貼ることは、落書きと同じです。
身勝手な札貼りが、千社札を禁止する寺社を増やしています。

浅はかな真似事が、伝統文化の障害になっています。
ルールは必ず守りましょう。

・禁止されている所では絶対に貼らない。
・訪れた寺社で納経・奉拝をした後、札を貼らせてもらう許可をいただく。
・貼る所が決められている場合は、そこに貼る。
・自然に風化するような素材、和紙と墨と続飯(そくい=飯粒をへら状のもので押しつぶし練って作った糊)などを使用し、寺社の建物を傷めない。
・木札を釘で留めるような建物を損なう行為はいけない。
・剥がしにくいシールはいけない。
・色札は貼ってはいけない。
・他の人の納札の上に重ね貼りしない。
・斜めに貼ってはいけない。
・文化財に貼ってはいけない。(文化財法に抵触し、懲役または罰金刑)

参考
千社札」 (せんしゃふだ): 築地 魚がし 小田原町

wikipedia 千社札 迷惑とされる行為

寺社のお願い・見解

国や県の指定重要文化財への千社札の貼り付けが後を絶ちません。
貴重な歴史的遺産を後世に残すために、なにとぞ皆様のご理解とご協力を、切にお願い申し上げます。

 

千社札は今後、一切禁止といたします。

 

昨日本堂の中にまで貼られた物をすべて高圧スチーマーで剥ぎましたが!
後が取れません…。

 

弁護士の先生に伺いました。

寺社への参拝記念「千社札」に迷惑の声も 「禁止」の明示がなければ貼って …

 

千社札動画

2015/10/09 に公開

チャンネル登録 844
栃木県真岡市中の中村八幡宮の 千社札編です。

 

関連リンク

千社札(交換札)を楽しもう

貼り札は守らねばならないルールがありますが、交換札は色を使ったり図柄も趣向を凝らしたものを楽しめます。

 

交換札納札所

この祭にっぽんが提供するバーチャル千社札納札所で、彩色やデザインに規制はありません。貴方の交換札をデータ添付でお送り下さい。サイトが存在する限り、掲示させていただきます。

 

どうぞ中まで御覧下さい

祭にっぽん」の再構築が、とりあえず落ち着いたのでお知らせします。 これが新たにWordPressで作った新しいサイトです。 写真を主体に見てもらおうと思ったのですが、最初から写真だらけではと思い直しました。 ではどこから見てもらおうかと思いましたが、カテゴリーから選択して貰う事にしました。 「まずカテゴリーからお選び下さい」と書いた下には全部のカテゴリーからピックアップした一部が表にしてあります。 これをクリックしてそのカテゴリーの記事一覧に飛ぶ事が出来ます。 カテゴリーもこれだけでは無く、まだ他にもあります。 「まずカテゴリーからお選び下さい」と書いた上には「カテゴリーを選択」と言うボタンがあり、これをクリックするとプルダウンメニューが表示されます。 こちらに全部のカテゴリーが書いてあります。

プルダウンメニューから「山車・曳き山系」カテゴリーを選びます。
選んだ「山車・曳き山系」カテゴリーの記事一覧が表示されます。
記事一覧から選んだ「富士宮まつり」が表示されました。 左側に目次が表示されますので、手っ取り早く見たい所に飛べます。
これはギャラリーに並んだ写真です。 縮小表示されているので、元のサイズで見たいですね。 それで、オリジナルを見る場合の方法です。
「11月3日湧玉宮本と阿幸地の競り合い」とキャプションのついた写真をクリックすると、この画面が表示されます。 実はキャプションの他に説明も書かれていたのですが、ページのギャラリー表示の際にはキャプションしか読む事が出来ません。このようにクリックして単一表示させると、説明があれば表示されます。 画像がまだ小さいので、もう一度画像をクリックすると、
黒い背景で、投稿されたオリジナル(横800ピクセルにリサイズされています)が表示されました。
投稿中ではあまり大きい写真を表示させる事が出来ません。 なので、長辺で800ピクセルほどにリサイズした写真を使っています。 大きな写真を使っても写真を多用するサイトではサーバー負荷を増してしまうので、手間はかかりますがしかたありません。
まだ祭りのデータが少ないですが、頑張って増やしてゆきます。 数多ある祭りの紹介や写真の提供など、一人の手では出来る事はたかが知れています。 皆さんの愛する故郷のお祭りを教えて下さい。
「祭にっぽん」内のお祭りスケジュールでは、お祭りの日程を調べお祭りへのリンクを探して設定しています。一つ一つ検索して探すのですが、以外と名の知られたお祭りに公式サイトがなかったり、意外な事に出くわします。 地元で愛されているお祭りなら、公式でなくても誰かが紹介していそうなものです。 でも、見つからない場合もあります。
長年祭りに関わってきて、祭りの値打ちって何だろうと考える事があります。 何のためにやっているのかと悩んだ事もありましたが、答を教えてくれたのは嬉々として綱を引き踊る子供達の笑顔でした。
そんな楽しさを伝えたい。それが「祭にっぽん」の思いです。 皆様のご参加、ご協力をお願いする次第です。

高崎まつり

wikipedia高崎まつりより

高崎まつり(たかさきまつり)は、毎年8月の第1土・日に群馬県高崎市の中心街で行われる祭り。

群馬県最大規模の祭りで、来場者は公称約70万人。花火大会・山車などの催しがある。特に初日の夜に行われる(天候不良の場合は翌日に延期)花火大会は北関東では茨城県の土浦全国花火競技大会に次ぐ規模で種類も豊富。花火は市の中心部を流れる烏川にかかる和田橋近くで打ち上げられる。花火の打ち上げ数は1万5000発。

高崎祭りの前身は江戸時代の高崎藩主・大河内家が祀る「頼政神社の祭典」として開催。大河内家が東京に移ると同時に一時衰退。1868年に道祖神祭りとなり、1955年、高崎奉納祭、1975年に「高崎ふるさとまつり」、そして1985年に「高崎祭り」となる。2000年に、高崎市政100周年を記念して祭りを4日間催した。伝統的に受け継がれてきた山車、御輿に加えて、1954年に全国煙火競技大会(現在の花火大会)を、1984年に「技能祭」などの他に、和太鼓、雷舞、創作だるまみこし、福引、高崎阿波踊り、ステージ演奏などの市民主体の催しが行われている。

高崎まつり


ムービー

平成22年に8月の第一土日に行われる、高崎まつりを見学しました。

ギャラリー

山車主体に写真を撮ってました。

成田山祇園祭

概要

成田祇園祭(なりたぎおんさい)は、7月7・8・9日に直近の金・土・日曜日に開催される千葉県成田市の祭礼行事。成田山新勝寺の宗教行事である「成田山祇園会(なりたさんぎおんえ)」の期間に合わせて開催される。成田山祇園会とは、新勝寺の本尊「不動明王」の本地仏である、奥之院・大日如来の祭礼である。成田祇園祭は、成田山と旧成田の全町が参加する大規模なもので、大日如来を「ご尊体」とした御輿が渡御し、合わせて10台の山車(だし)や屋台(やたい)が一斉に繰り出す。[wikipedia成田祇園祭]より


報告

平成21年7月の成田山祇園祭を見学しました。

ムービー


成田山山門前から薬師堂前までの坂道を全区の山車・屋台が登る総引きで撮影。
お囃子にあわせ心を一つにして坂を引き登る姿に、祭りの原点を感じました。

スライドショー

スライドショーには JavaScript が必要です。

ギャラリー

寒川神社流鏑馬

流鏑馬神事より

例祭の前日である九月十九日午後二時より、天下泰平・五穀豊穣を祈念して「流鏑馬神事」が御本殿西側馬場で斎行されます。この神事の歴史は古く、鎌倉時代には行われていたという記録が残っています。寒川神社においては、流鏑馬の神事を司る「馬太夫」と呼ばれる家筋の者が代々継承していましたが、現在は武田流(公益社団法人)大日本弓馬会によって奉納。神職も射手として奉仕します。疾走する馬上で繰り広げられる日本の伝統武芸は、見る人々を魅了します。



平成21年9月19日に浅間大社流鏑馬保存会で見学しました。

拝殿前での記念撮影
用意していただいた席が二の的の少し前だったので、写真は流し撮り主体にして、ムービーと交互に撮っていた。
流し撮り
流し撮り
流し撮り
列を組んで馬場元に戻る
ブレとボケで判りにくいが、径三寸の素焼きの皿を合わせ中に五色の切り紙を入れた競射の的だ。奉射の的より小さいのでたぶん当たりにくいもの
パンフレットと矢が当たって割れた土器(かわらけ)の的の欠片

三嶋大社流鏑馬

三嶋大社の例祭(毎年8月15日~17日)の最終日に行われている流鏑馬。例祭に合わせて、三島夏まつりも行われ、神社周辺も大変な賑わいを見せている。 [やぶなび-三嶋大社流鏑馬より]


三嶋大社の流鏑馬を平成23年8月17日に見学しました。
浅間大社の小笠原流とは違う、武田流の流鏑馬です。

走路は森の中なので見通しがきかず、見る場所が限られます。
この日の見学では良い場所に入れず、肝心の流鏑馬の写真をあきらめました。

古殿流鏑馬

古殿町 古殿八幡神社例大祭より

古式の盛装をした騎士が、馬を駆けさせながら3つの的を矢で射る伝統の神事です(流鏑馬)。
また流鏑馬の前には、同じく馬を駆けさせながら別当館に空高く矢を放つ「笠懸」も行われます。
これらの起源は古く、およそ800年前の鎌倉時代より始まったと伝えられています。
人馬一体の武技は、今も昔も変わることなく受け継がれています。
笠懸と流鏑馬は、毎年10月の第2日曜とその前日に行われ、この古殿八幡神社に奉納されます。
また、古殿八幡神社の笠懸・流鏑馬は、福島県の重要無形民俗文化財にも指定されています。

**関連サイト**
古殿流鏑馬保存会Youtube
古殿流鏑馬保存会Facebook


浅間大社流鏑馬保存会で、平成24年10月14日に古殿流鏑馬を見学しました。

試走
試走でしょうか
笠懸の射手が神社を出ます
馬を駆けさせながら別当館に空高く矢を放つ「笠懸」

 

いよいよ流鏑馬、馬が引き出されます
鳥居前で三騎が回ります
走り始めました
的を射ます
当否は?
走って馬場元に帰ります

古殿町の流鏑馬を見学 24.10.14
写真撮影主体で、コンデジを首に掛けての動画撮影でしたので、フレーム切れはご容赦下さい。