貧者の放送局 ナローキャスター
目次
貧者の放送局
「インターネットは貧者の放送局だ」
そんな言葉が胸に響いた。
情熱さえあれば、貧しいものでも世界に発信出来ると言う。
折しも郷土富士宮市は、狂信的なテロリストの巣窟であるかのような前置き付きで呼ばれていた頃である。
美しい富士山に見守られ、清き水と自然溢れる美しい郷土が踏みにじられた。
それが何より悔しかった頃だった。
我が故郷
我が郷土は朝夕に富士山を仰ぎ、富士山を神体山と仰ぐ富士山本宮浅間大社の門前町として富士登山の起点として古くから栄えた。
境内地には富士山の伏流水が湧き出る湧玉池があり、コノハナサクヤヒメノミコトが火に打ち勝つ水徳の神ということから、1200余年昔に山宮からこの地に遷座されたものだろう。
1年を通して水温13℃という湧水は夏は冷たく、冬は温かいもの。
この清冽な水がこの町の中心をなしている。
幸いなことに、小学校中学校通学には浅間大社境内を通学路とし、湧玉池のニジマスに給食のパンを投げ与え、アブラハヤの稚魚をメンジャッコと呼びアルマイトのカップでそれをすくって遊び、それがメダカだと信じて疑わなかった。
春秋の祭りにはこの境内一杯に露店が立ち並び、香具師の口上や見世物小屋が記憶に残っている。
子供の頃は、祭りというものは浅間大社境内一杯に軒を並べる露店を、見て歩くことだった。
町内の屋台の曳き回しもあったけれど、子供は綱を引いて踊るだけでそれには特に魅力も感じなかった。
青年団
そんな私だが、成人して郷里に帰り青年団にしつこく勧誘を受け嫌々入団する事になる。
最初の祭りで飲み屋を連れ回された時のこと、最後に訪れたある飲み屋で奥に客で居たホステスが
「ちんけな酒飲んで、粋がるんじゃ無いよ」
と毒づいたことで一人が激昂し、カウンターに飛び乗って走り寄ると料理や飲み物を蹴り飛ばした。女将が慌ててどこかに電話をすると、強面のお兄さん方が店に現れる。別の先輩がそこに突っかかる所を、背面両脇から手を入れ抱え上げて店の外に連れ出した。店外に放置して他の先輩方と帰宅したので、どうなったか後のことは知らない。
これが青年団活動の序章で、それから次々と襲い来るトラブルによく逃げ出さずに来られたものだと思う。
しかし、とんでもない所に来たものだ。
祭り囃子
そんな青年団活動だったが、嫌なことばかりでは無く、囃子に魅力を感じ囃子方になった。
とは言っても、手取り足取り教えて貰える訳では無く、先輩はたまに顔を出すぐらいで、歌を紙に書いて壁に貼りもっぱら独習だった。きんどをマスターしても、おおどがたまにしか顔を出さない。おおども独学で何とかマスター。
きわめてたまにしか顔を出さない笛吹きに教えを請うが、道囃子を教わった所で居なくなってしまう。
湧玉会で笛を吹く有賀さんの門を叩くと、快く了承していただき時期になったら声をかけていただく事になる。ところが、声がかかったときには子供達の囃子を見なければならず、とうとう行けずじまい。
録音を入手し、手探りで音を拾い、何とか吹けるようになる。
囃子修行中から子供らに囃子を教えるが、筋が良く期待していた子供が就学就職で帰ってこない。
よし、こいつ等にメッセージを送ろう。
そしてホームページ作りが始まった。
始動
郷土の今、初詣、節分祭、神田川ます釣り大会、花盛りの浅間大社、流鏑馬祭、御田植祭、御神火まつり、宮おどり、秋季例祭等々を写真で載せる。
季節ごとの富士山の写真を載せる。懐かしい場所から見た故郷の写真を載せる。
富士宮市の良さを広く多くの人に知ってもらうと言う意味ではブロードキャスト(広報)なのだが、此処から他所に出た若い者達に里心を起こさせようという狙いからは、かなり絞られたナローキャスト(狭報)だと言える。
貧者の放送局としては、目的を絞ったこのナローキャストに力を注ぎたい所だが、ついつい欲が出て間口を広げてしまう。
拡大と収束
複数のwebサイトに2つのブログ、TwitterにFacebook、Mixi、Google+と広げすぎて多くは放置状態に近い。まともに管理出来ているのはFacebookぐらいだが、これとてもWebサイトに準ずるFacebookページと複数のグループがあって、少し整理する必要があるのではと思っている。
間口を広げるとどっちつかずになりがちなのだが、行き詰まったときの逃避場所にはなった。逃避している間、別のページは更新が行われず、気がつけば長い放置。そんな所にきつい気付け薬だったのは、データベースのバージョンアップに失敗してWebページの多くが失われたこと。
長期の不更新や繋がらぬサイトは過去の実績も消え去り、新規に構築したしたサイトへのアクセスは激減した。数限りなく広がり続けるインターネットの海に埋没してしまうのではと不安にもなる。
ナローキャスター
再出発だ、一人の観光案内。
どれだけのことが出来るかは判らない。
でも、コツコツと積み上げてゆけば、ご縁も出来るだろうし人目にも触れることが出来るだろう。データベースを変更し、古いデータも掘り起こし復旧と新規投稿で少しずつでもボリュームを増してゆく。焦らずに生涯の仕事として続けてゆけば、多少なりとも故郷に貢献出来るのではなかろうか。
ナローキャスターとして、欲をかかずに郷土の良さを、郷土の祭りを発信してゆく。