祭にっぽん

遠音 4.別れ

別れ

奈津子はてっちゃんの入院中に幸子さんと親しくなったようだ。
てっちゃんの術後の恢復が順調だったので、買い物や息抜きで町を案内しながら幼なじみのてっちゃんの事、自分たち夫婦の事を話したらしい。
リーダー的な存在だったてっちゃんが、故郷を出た経緯や自分たちの結婚についてもだ。
「変わってないんだね」
あばら屋を修繕したときの手際の良さと、職人達からの人望の厚さで感じていた事が、話を聞いて実感されたようだ。
幸子さんが付添から帰ると、母親仕込みのやきそばを芙蓉亭の厨房で指南していたものだ。

「次は7月ね」

幸子さんがてっちゃんに会いに来るのが待ち遠しいと言って、手紙を書いていた。

「幸子さんに焼きそばの材料を送るんだ」

そう言って自転車で買い物に出かけた。

帰りが遅いと思っている所に事故の知らせが入り、病院に駆けつけたときには冷たい亡骸となっていた。

あまりにもあっけない別れだった。

まるで自分の寿命を知っていたかのように引き出しにメッセージが残されていたので、通夜と葬儀で参列者にかみさんのメッセージを読んだ。

主にかみさんの人生相談に乗った人たちへのメッセージだ。

「見届けることは出来なかったけれど、皆さんが悔いのない人生を歩んでいると確信しています
なぜなら、あなた自身が自分で探し掘り起こした答を実践したから
人の意見に従って失敗したなら後悔を一生引きずるもの
結果が最良でなかったとしても、自分で決めたことならけっして後悔しないで
私の助言が欲しくなったら思い出して
常に自分に問いなさい
そして自分で決めたなら迷わずに進みなさい
あなたが思う時、いつも私は側に居るよ
私が言うことはいつも同じ
答は自分の中にあるの」

荼毘に付すのは決別するためなのだろうか。
炉に収めて焼き上がるまで、場所を移して控え室で待つ。

場を変えることで先ほどまで涙していた家族の顔にも、笑みが戻り談笑するようにさえなる。そう広くもないこの斎場の二つの空間には生と死を、この世とあの世を分ける境界があるのだろうか。

ぽっかりと大きな穴が開いてしまった。


解説

語り手奥さんの突然の逝去と遺されたメッセージ
「あなたが思う時、いつも私は側に居るよ」は
口癖のように言っていた言葉からも伝わる。

墓参りした人は何に向かって祈るのだろうか、墓地?墓標?それともお骨?
墓標は標(しるべ)に過ぎず、お骨は抜け殻に過ぎない。
亡き人を極楽浄土や天国に引き上げてくれと神仏に祈るのか、亡き人を思い浮かべて語りかけるのか。

標が無ければ祈れない、という物でもあるまい。

死んだら無くなってしまうのだろうか、燃え残った骨(こつ)を遺して。
親交のあった人たちにはイメージが強く刻まれていて、何時だって思い出す事が出来る。誰かに思い出されるうちは、まだ消滅していない。
実体は無くても、まだ存在しているんだ。

だから、君が思うとき、僕はそこに居る。
まだ消え去っては居ないんだ。

 

前章へ ・ 次章へ

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。