遠音 3.てっちゃんの決心

てっちゃんの決心

墓地の改修が終わる前に、てっちゃんがやせがまんで盲腸をこじれさせたので、病院での緊急手術に付き添った。死んでもおかしくないという医師の脅かしで、てっちゃんは最悪の事態も覚悟したようだ。私に手帳を渡し、東京の住まいを告げた。もしもの時には後始末を頼むというのだ。大げさな。

大家の女名前を見て思った。もしかしたらてっちゃんの好きな人じゃないかってね。緊急手術中に電話をして、大家の女性にてっちゃんの幼なじみだがてっちゃんが盲腸で緊急手術中だと告げた。

応対した女性の狼狽ぶりに確信した。取り乱し方が尋常でなかったからだ。そして、「あの医者の言いようはいつもあんなで、ひどく大げさなんです」
となだめながら、カマをかけてみた。

「あいつ、保険証を持ってきてないみたいなんですが、判りますでしょうか?」

「たぶんいつも使っている小引き出しにあると思いますので、私が持って行きます」

自分がもらいに行くと言っても、すぐにでも駆けつけるというその剣幕に、思わず

「お願いします」

と答えていた。

思えば短いものでてっちゃんが郷里を出てから三十年余が経ち、郷里で暮らした時間より異郷で過ごした時間の方が長くなっていた。

独立

後日てっちゃんに聞いた話だ。

建築会社に勤務し器用さと人柄を見込まれて二十余年、世話になった社長も亡くなり会社も代替わりした。新しい社長も子供時代から子守した間柄だから気心は知れているが、逆に気を遣われるのがなんだか居心地が悪い。若手も充分育ち代替わりもうまくいったから、年寄りが身を退くにはちょうど良い頃合いだと思った。慰留されるのは嬉しいが、引き時も肝心。何かあったら必ず駆けつけるからと約束し、定年には間があったが退職を告げた。これからは修繕や補修を生業とする。

さて急な決心ゆえ引っ越し先が決まるまでの間、わずかばかりの荷物を預かってもらい、会社と同僚に別れを告げて新たな住まいを探す事となる。どうせ一人なのだから、下町の空き店舗か空き住宅でも借りて、電話で受けた仕事をこなせば良かろう。そんなつもりで古い裏通りを歩いていたとき、狭い道ぎりぎりにバックで入ってきた車に遭遇した。窓から右後ろは見ているが、左後ろにいる自分には気付いていない。飛び退いた拍子に道ばたにあった植木鉢に足を引っかけ、植木ごと転倒。大きな音に驚きブレーキをかけて飛び出したのは、中年のご婦人だった。動転しておろおろするばかりだったが、何とか立ち上がった姿を見てやっと声を発した。「だ、大丈夫ですか?ごめんなさい、見えなかったもので」
大した傷では無いが、打撲に擦過傷、そして捻挫を負った。しばらく出歩くのは控えなきゃぁと思っていると、「救急車呼ぶから、じっとしてて」そう言いながら、指が震えて携帯電話が掛けられない。

「あわてないで、頭は打ってないから大丈夫。擦り傷に貼る傷絆創膏だけ貰えるかな」

近くの美容院の店主だという。娘と二人でやっているという店に招き入れ、傷絆創膏を探して貼ると何度も詫びた。

「ごめんなさいね、私ってそそっかしいものだから娘にいつも怒られてるの。」

「いえいえ、私もきょろきょろしてたもので気付くのが遅れたんですよ。」

お茶を頂きしばらくそんな事を繰り返している内に、右足首を捻ったところが腫れ上がりひどく痛々しくなった。足を着くと痛みが走る。幸い三軒先が接骨院だったので、ご婦人とその娘さんの肩を借りて歩き、治療して貰った。松葉杖を接骨院で貸して貰い、社宅までどうして帰ろうかと思案していると、接骨院の先生が尋ねた。

「お宅はどちらですか?」

「国分寺です」

「その足で帰るのはちょっと大変だな」

「なあに、特に仕事が有る訳じゃ無し、時間さえ掛ければ大丈夫」

よせば良いのにやせ我慢だ。
長い距離なので、混む時間を避け、何回か電車でしばらく通ってようやく痛みも治まってきたようだ。

「ところで、こんな所で何してたの?」

先生が聞いた。

「建設会社を退職して、修繕や補修を仕事にと考えているんですが。腕だけで現場で出来る仕事なので、特に作業場などは要らない。このあたりなら年季の入った木造住宅が多いから、そんな仕事が成り立つんじゃないかと、事務をする当たり前のアパートか借家を探していたところなんです」

「崩れかけたあばらやならそこにあるが、住むのは現状では無理かも知れないな」

「なに、修繕はお手の物だ。口を利いてはくれないかね」

持ち主は美容院の経営者。とばっちりの相手だ。

解体して更地の駐車場にした所で、狭い土地に車がたくさん置けるわけでもないし、費用の回収にはしばらくかかる。

「どうだろう。
老朽家屋で役所からもいろいろ言われてる事だろうし、一年分の家賃を只にする代わりに、住めるように只で修繕するってのは。もちろん二年目からは家賃を払うってことで」

「只で修繕は良いけど、材料費だって馬鹿にならないでしょ」

「材料代もこっち持ちでかまわないよ」

それで決まった。大家にしてみればうまい話だ。あばらやが只で直って二年目からは家賃が入る。

「その代わりと言っちゃなんだが、修繕が気に入ったらせいぜい宣伝しておくれ」

一日じっくり調べると材料やらなにやら手配し、明日からかかると言った。翌日若い者が数名現場にはいると壁を崩し柱を露出させた。腐りを切り、水平を見ながら新たな材木が継がれる。緩みを締め、ねじれが直ると筋交いなどで補強し、床や壁が張られた。手配の妙だ。基本の工事は二日で終わり、内装を入れても1週間で完了した。

材料代もほとんどかかっていない。
昔面倒を見てその後独立した後輩たちから、端材を提供して貰ったからだ。世話になっちまったから当分はお礼奉公だ。そう言っていたのもつかの間。手際の良さが噂になって休む隙さえなくなってしまった。一人の手に余る物は後輩の店を紹介し、修繕主体に仕事を始めた。
美容院客の間で噂が効いたのは、言うまでもない。いつ崩れてもおかしくない店横のあばらやが、ちょっと見ないまに元通りになったのだから。

助っ人登場

元の職場で面倒を見た息子ぐらいの後輩が、仕事の方針で利益優先の若社長とことごとくぶつかる。古手の社員が口をきいて、元社員の所に応援出向と言う事で首は免れた。

「何でいきなりなんだ」

「何度も電話したさ。
だけど繋がったためしがない
来てみりゃ毎日遅くまでかけずり回ってるそうで、捉まりゃしない。
これは年寄りには酷な状況だと判断したのさ」

後輩の名は正直(まさなお)と言う。真っ直ぐなところが気に入って、目を掛けていた後輩だ。嬉しいのを押し隠し、手伝って貰う事にした。仕事ははかどり、定時に終えたり休日も出来た。

この頃から大家が何かと口実を付けて家に来るようになる。少し婚期の遅れている娘の婿にどうかと品定めをしているようだ。

「あんたたち、外食や弁当ばかりじゃ体に悪いよ。晩ご飯ぐらいは内で食べちゃどうだい?」

申し出ありがたく、それからは大屋宅で晩ご飯をいただく事になった。

大屋の作戦は功を奏し、娘と正直が恋仲になるのに時間はかからなかった。

「作戦成功か?」

「ばれてた?」

「見え見えじゃないか」

でも大屋の本当の狙いには、てっちゃんはまだ気付いていなかった。
大屋は三代前からここに住み、美容院を始めたのがこの大屋。若くして熱烈な恋をして結婚するも、浮気者の亭主に愛想を尽かし追い出す。亭主は異郷で亡くなり、その葬儀には娘を連れて参列。
「あの子が異性になかなか恋愛感情をいだけなかったのは、親のそんな関係を見ていたからかも知れないね。」

最初は怪我させた償い、次第に打ち解けると親しみが信頼と安らぎに変わる。
店子でも男っ気があれば心強いし、人も良さそうなので気の置けない茶飲み友達ぐらいにと考えていたのだが、やがてむすばれることになろうとは大屋もまさかそこまでは考えていなかった。

後片付け

昼間はてっちゃんに付き添うという大家さんに、奈津子の実家を使って貰った。退院後は二人して東京に帰り、三月ほど仕事の段取りを整え正直に指示していたが、三月に大屋にこう告げた。

「やり残した仕事を片付けに、半年か一年ほど向こうに行ってくる」

「何で急に出て行っちゃうのさ」
大家はきわめて機嫌が悪い。
「世話になった師匠が苦労して立て直した祭りを、崩されぬよう手を入れなきゃならない」
「そのままどこかに行っちゃうんだろう」

泣き暮らす大家

「必ず帰ってくるから」

と茶箪笥とちゃぶ台を作る。

娘が見かねて言う。
「ついて行ったら邪魔にもなるだろうけど、居所は知れてるんだから、いつでも遊びに行けばいいよ」

茶箪笥には夫婦湯呑みが鎮座していた。

悔い多き日々

てっちゃんは、奈津子の実家に住む事になった。

語り明かした時の事だ。

「俺たちが祭りをやっていたあの頃は、たちの悪いただ酒目当ての荒くれ者が幅をきかせていて、そんな無頼を気取る者たちの溜まり場だったよなぁ」

それを嫌って青年に入る物も無くなり、囃子が好きな物ぐらいしか残らなかった。そんな中で囃子方が比較的まともだったのは、囃子を教えていた親父が厳しかったからなんだろう。
そんな無頼どもが酔いしれての乱暴狼藉が祭りのたびに繰り返され、そのたびに町内の反発も高まる。反発が年々拡大していたところに流血のあの喧嘩騒ぎがおこった。通りかかった他所の町内の青年と些細な事から口論に成り、悪たれどもが梃子棒振りかざして殴りかかった。

「それをてっちゃんが止めようとして梃子棒が逸れ、看板をたたき落とした。その看板で俺の額が割れたんだ」

「血だらけで気丈に止めようとしているまあちゃんを見て、悪たれどもも戦意喪失しその場は治まったんだが」

「今度は常日頃から無頼どもを快く思わない人たちが騒ぎ出した。
区長だった親父が懸命に説得して回ったが、もう治まらなかった。
突きつけられたのが、無頼の追放と祭りの休止。断腸の思いでそれを飲んだ。
実際は無頼追放で人手が足りなくなって、休止せざるを得なかったんだがな。
これで途切れたら祭りは出来なくなる。親父はそう思っていたんだろう」

たしかに五年間の休止は致命的で、無頼はもちろんまともな青年達もあらかた出て行ってしまった。「腹立たしいのはお袋さんが亡くなっててっちゃんが出て行ったのを良い事に、悪たれどもはもめたのをてっちゃんの所為にしてたんだ」

「俺も祭り衰退の元凶の一つって事か」

「違うさ。あれは巻き添えと誤解だったじゃないか」

「そうは言っても、その誤解を解かないまま郷里を後にしたから、今の青年の足を引っ張っているには違いないな」

「その後、親父は気を取り直して子供達に囃子を教え、浅間大社への宮参りだけから始めた」

子供が囃子をやれば、親は山車に乗せてやりたいもの。子供なら酒飲んで暴れる事も無いから、反対する理由も無くなり、それでも機が熟するのにはあと五年かかった。

新生の青年団に新たな若い者が加わったけれど、つきまとうのは昔の悪たれどもの所行。

「再開した当初は、酒も飲めないまじめな青年長が寄付集めでさんざん嫌みを言われて、かなり落ち込んでいたよ」

中身がまるっきり変わったと言っても、十年、二十年前の悪行は容易には印象からぬぐい去れないって事のようで、囃子の子供が青年に育ちようやく何とか形が出来てきたところで、祭りに対する偏見もやっと解けたようだ。

「気になるのは、親父が死んでから悪たれの生き残りが最近出入りするようになって、言いたい放題で若い者をあおり立てている事だ。武勇伝ばかり吹き込むので、復興の苦労を知らぬ若者達は染まりかねないんだ」

「けん坊はどうなんだ?」

「あいつにはよく言い聞かせてあるからだいじょうぶだが、年寄りと喧嘩するわけにも行かず閉口しているらしい」

せっかくいい形になったのに無頼ごっこに憧れるようになったら、それじゃ逆戻りじゃ無いか。今の若いもんに祭りを重荷として残すわけには行かない。今回の帰郷は母親の法事だったが、祭りの事情を聞くと義憤に駆られた。恩ある師匠が苦労して立て直した祭りを、崩されてはならない。

健太は親父の古い笛を持っていた。彼にとってはじいちゃんの笛だ。その笛にはてっちゃんも見憶えがある。その祖父、つまり私の父親が名人と呼ばれる笛吹きで、てっちゃんは師事したもののデビューを待たず祭りを離れることとなった。その頃に見ていた師匠の笛なのだ。

「おまえは親父最後の弟子だ。あの後暴漢に刺され、左腕が効かなくなり笛はもう吹けなくなってしまった。おまえが笛吹きとして山車に乗るのを楽しみにしていたのに、あんなことでおまえが飛び出し、いつもいつもおまえのことを惜しんでいたぞ。教えることはすべて教えたといっていた。」

その笛を途絶えさせるところだったのか。

てっちゃんはこそくり仕事をしながら、若いもんの動きを観察した。

桜の頃

浅間大社境内の三月下旬から四月初めは、桜の季節だ。てっちゃんは東京から幸子さんを呼び案内して歩く。拝殿東の枝垂れ桜は信玄桜と呼ばれ、武田信玄が植えたと言われるものだが今は代替わりして二代目だそうだ。西鳥居から東鳥居までの間は桜の馬場と言い、五月の流鏑馬祭には流鏑馬が行われる場所だ。馬場の南北には桜が植えられ、四月初めには盛りを迎える。入学式には散り始めたこの桜の下を、母親と手を繋いで歩いたのを昨日の事のように憶えている。

夜は店に来て遅くまで昔話に興じ、さっちゃんと次には流鏑馬祭に会う事を約束し別れた。

この頃たけちゃんから持ち込まれたのは、亡くなった順ちゃんの実家の修繕だ。年寄り夫婦が暮らしていた建物は若い希美ちゃんが住むにはちょっと寒々としている。たけちゃんの所で働いてもらう事になったので、修繕費用はたけちゃんの立て替え。

ゆくゆくは養女に迎え後を継いで欲しいと思っているようで、希美さんへの入れ込みようが凄い。良い娘なのは充分判るが、先行き長い人生で誰と出会い結ばれるかは娘の自由だ。予定が崩れて後でがっかりする事がなければ良いがと心配だ。

「しかし、若い娘の一人暮らしも心配だろう。親子一家族で住むなら丁度良い家なんだが、一人ではちょっと広くて寂しかないか?」

「確かにそうだ。」

「結婚したらここに住むにしても、当分お前のとこに住み込んでもらって、転勤の多いサラリーマンにでも貸しちゃあどうかな。
そうすれば、修繕費の返済も早く済むし、何よりそれを口実に一緒に暮らせるだろう?」

たけちゃんは目を輝かせた。

「それがいい!」

風薫る五月

浅間大社の祭りで大きなものは、五月に行われる流鏑馬祭と十一月に行われる秋季例祭だ。どちらも浅間大社境内一杯に露天がひしめき、参拝客で賑わう。十一月の秋季例祭は氏子町内が祭り囃子も賑やかに山車屋台を繰り出して引き回すのだが、五月の流鏑馬祭は源頼朝以来の歴史ある浅間大社のお祭りだ。桜の馬場に柵が建てられ走路が作られて、二種類の流鏑馬がここで披露される。一つはこの神社で昔から伝えられてきた「古式流鏑馬」。もう一つは小笠原流流鏑馬斉藤道場一門が奉仕する「小笠原流流鏑馬」だ。

五月五日、拝殿での神事に引き続き馬場で古式流鏑馬が行われ、正午から市内練行で流鏑馬行列が市内を練り歩く。帰着して休憩の後、隊列を組んで馬場入り、拝殿で流鏑馬式が行われ、いよいよ神事流鏑馬が行われる。

楼門前の石段でてっちゃんとさっちゃん二人並んで見る。
その後露店を冷やかし、鯛焼きを買って来たので、昔の祭り風景をふと思い出した。西門通りにも昔は露店が並び、西門近くには瀬戸物を売る店があって、実家の向かいにも鯛焼き屋が出ていたっけ。

七月は山開き、富士山頂まで登るには相当の覚悟が要るから勧めはしないが、山開きの日に手筒花火が見られるからどうですかと誘っておいた。


解説

郷里を出てからの主人公の軌跡と、恩人の思いを守り伝えたいと決意する経緯。
富士宮市のさまざまなまつりや催しを以下に紹介しておきます。

流鏑馬祭


開山祭手筒花火

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富士山御神火まつり


富士宮市のまつり


富士宮のさまざまなまつりを紹介しておきます。

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