遠音 5.笛吹きを労え
笛吹きを労え
笛を伝える
途絶えたんじゃないかと思われた笛吹きが、居たのは意外だった。
名前はもっちゃん。
会所の鍵開けから囃子の指導、祭りの準備から戸締まりまで毎日毎日やっている。
彼が囃子方を志した時、最初は皆きんどなのだが、教えてくれる人はたまにしか来ない。
なので壁に貼った唄を書いた紙を見て独習。
きんどをマスターした後、おおどがいない事が多いのでこれもほとんど独学でマスター。
当時笛吹きはいたけれど、練習に顔を出す事がほとんどなく、気が向けば祭り本番に顔を見せるぐらいで、笛のない事が半ば当たり前だった。
笛のない囃子は色のない下書きのようなもの。
笛吹きに入門を申し出て、最初の道囃子を教わっている途中で笛吹きが夜逃げ。
そこで、富士宮ばやし保存会で笛を吹き、講習会などで講師をしている人の門を叩いた。
時期になったら声をかけるからと快諾していただいたけれど、声がかかったのは祭り準備の最中で、子供らに囃子を教えているとき。
そのためにとうとう教えを受ける事が出来なかった。
知人から保存会披露の録音テープを入手し、手探りで音をたどり、やっと笛をマスターしたという努力家だ。
準備中の会所に、たまに来て長居をする者がいれば鍵を預かる彼は帰るに帰れない。
準備の終盤になると祭り気分の盛り上がりから、連日深夜まで語り合うことになる。
そのために、毎年寝不足から体調を崩して満足な状態で祭りを迎えたことはほとんど無かったので、へたくその汚名をなかなか返上出来なかった。
けん坊が言う。
「練習が始まった頃はきれいで勢いのある笛を吹いてるんだけど、本番では体調崩した後遺症で咳のために息が切れ切れ、本来の笛が吹けないんだ。
「誰も笛吹きの大事な事を判ってないのか。
確かにやった者でなきゃ、笛の大変さは判らないだろうが」
待てよ、けん坊はどうなんだ。
「けん坊は、笛はやるのか?」
「もっちゃんに教わろうとしたら、『自分のは我流で唄も指使いも正規の物じゃないから、教える事は出来ない』と言う。だから、こっそり後ろで見て真似してる」
「それならお前も笛吹きだ。そのもっちゃんの荷物を少しでも良い、背負ってやれ」
けん坊がうなずいた。
「でも、いい加減な笛じゃないよ。外で練習しているときに、保存会の笛の講師が通りかかり、笛を聞いてくれて。それで、『すっかり盗まれちゃったなぁ』って笑ってたって」
もっちゃんは、その時に笛玉の事を教えて貰ったそうだ。
「俺はけん坊のじいちゃんに教わったんだ。その笛をお前らに伝えておきたいんだが」
そう告げると、もっちゃんと健太が二人揃ってやってくるようになった。
「太鼓は緊張しても上がっていても、叩けば音がする。でも笛はそうは行かない。息が乱れれば音も乱れ、無理に息を使ったら酸欠を起こして中断してしまう」
「太鼓のリズムが乱れバラバラなときは、笛がリードしてまとめなきゃならない。リズムを揃えるために、踊るように自分で拍子を取りながらメリハリを効かす。」
「高音も一本調子では無く、強弱を付ける。長く伸ばすときは弱くなって消えるんじゃなく、弱く入って徐々に強める」
「唄の切れ目では、すぱっと切る」
「唇の荒れは大敵、節制して体調を整える」
「遠くまで笛の音を届かせるために、左肘は前に突き出し笛尻は上げる」
大掃除
誰かの犠牲の上に成り立つ祭りだったら、無くてもいい。
骨折るものを踏みにじるような祭りならなおのことだ。
でも代々守り伝えてきた祭りには特別な思い入れがあり、簡単に捨て去る事は出来ない。だから、祭りの先行きに障害となる物は、できるだけ取り除かねばなるまい。
先ずは年老いた荒くれだ。
祭り準備の会所に、差し入れの酒を持ってけん坊と出かけた。
いたいた。青年に注文ばかりつけ、慰労の場では酒が回ると良い気分で武勇伝を針の飛んだレコードのように、何度も何度も繰り返す。
頃合いを見て切り出した。
「で、誰が尻ぬぐいしたんだっけ?」
もめ事の後は、区の役員や祭りの責任者が後始末に追われた。
下げたくない頭を下げ、プライドもずたずた。
これがために、任期半ばで役職を投げ出した区長さえいる。
祭り実施には批判の声ばかりが強まり、やがて無頼の追放が行われ、祭りも何年か休止せざるを得なかった。
「それが全部お前の所為だと、そこまで言わなきゃ充分じゃないだろう」
荒くれは言葉もなく、うなだれて立ち去った。
解説
今では希望する者がいれば笛を教えるけれど、昔は地区の青年の中で長男で有り、永く区内に居る人でなければ教えなかったと言います。また、地元の青年で、福知神社内で吹いた笛の音を、西町の布屋さんの前で聞き取れる者にだけ教えたとも聞きました。
笛吹きの育成には、持って生まれた資質もあるけれど、とにかく手間がかかります。
やっと育てた笛吹きには簡単に去られては困るもの。何で骨折ってまで月謝も取らずに囃子方を育てるかと言えば、自分たちもそうして育てて貰ったから。だから受け継いだものを後進に引き継がなければ、囃子も祭りも衰退してしまう。簡単に止めて貰っては困るんだ。気楽に初めて何時でもおさらばするような積もりなら、苦労して教える気にはなれないもの。
手間暇かけて育てて貰ったのに、後進を育てもせずに祭りを去る者が居る。
それを食い逃げと言って嫌う人も居たっけ。
食い逃げにはなりたくない。自分が居なくなって師匠がどれだけ悲しんだかを思ったら、償わなくてはならない。ここで若い者達に全て伝えておこう。
了見違いで若い者の足を引っ張るような、要らぬ障害物はこの際全部片付けておこう。
てっちゃんはそう思ったのでした。