祭にっぽん

遠音 10.祭りが終わる時

祭りが終わる時

もっちゃんの卒業

てっちゃんが笛を教えた後、もっちゃんに言った事がある。

「こんな状態で、何時までも続けては居られないだろう?
そろそろ思い切って突き放せ。
最初は失敗もするだろうさ。
でも失敗を経験し乗り越えれば、確実に成長する。
二年教えたら、いっさい手を出すな。
そして卒業宣言だ。」

手の要るときだけは一区民として手伝うが、準備も当日も目を配り、手を出したいところを我慢させた。

健太は新たな仕事が増えたが、囃子だけは指導者として練習に付き合った。

 

花道

祭り最後の日、引き回しを終え会所前で旧囃子方による囃子披露が、もっちゃんたちの粋な計らいで実現した。
健太から聞かされていたもっちゃんが、いつも陰で祭りを支えてくれた老人達のことを青年の会合で話したので、古手の囃子方が顔を揃える事となった。
笛はもっちゃん、中胴は改心した荒くれ、端は私で、大胴はてっちゃん、鉦は健太だ。
久しぶりとは言いながら、実は密かに練習していた。
もっちゃんの笛は祭り準備の練習にずっと付き合って吹いていたから、息がそのまま音になるという感じ。
緩急に時折入る笛玉、澄んだ音色には惚れ惚れする。
前唄からにくずし、そして屋台の一回りまで吹いたところで笛を止め、きんど二人に「続けて」と言いながら、てっちゃんに笛と代わってくれと言った。

「笛の用意がない」

と言うところに、すっと健太の笛を差し出す。
てっちゃんの師匠、親父の笛だ。
てっちゃんが、良いのか?と見ると健太が頷く。
会所前に居たおふくろを見つけ笛を掲げると、おふくろは手を叩いて「聴かせて」と叫んだ。

てっちゃんは頭を下げ、笛を唇に当てた。
左肘を左前に突き出し笛尻を心持ち上げ、屋台の地の低い音から入った。
太鼓の拍子にぴたりと合わせ笛で唄う。
そして二の玉に入り、玉の後の高音で笛玉を入れた。
弱めの音で高音に入り、終盤で一気に盛り上げそこで笛玉に切り替える。
笛玉でじわじわと下げ平常の音に戻した。
いよいよ終いかと思ったら、中胴がにくずしに回せと言う。
練習で叩き込んでいない年寄りがそのまま持ちこたえられるかと危ぶんだが、皆が行こうよとうなずいた。
切り替えてにくずしに回し、体で拍子を取ると、太鼓の三人はそれに合わせ跳ねるように叩いている。
まるで踊って居るみたいに。
このままくたばるまで囃子を続けたい衝動に駆られたが、絶頂のうちに終える事を選んだ。

しばし拍手喝采に包まれた。

万感胸に迫る。
この笛披露が人生最初で最後だ。

「良い土産が出来たな」

「ああ、あっちに行くのはまだ当分先だが、最後に良い囃子が出来た」

笛の唾を切り、手ぬぐいで歌口をそっと拭い、健太に礼を言って返した。

祭りの終わり

祭りには終わりがあり、終わりの無い祭りはない。
ハレの日は、地味な長い日常(ケ)があるからこそハレなのだ。
大きなハレの花を咲かすために、力を蓄える日常に戻らなければならない。
さて、どう締めくくる?

次のハレを支障なく迎えるために、悔いを残さない事だ。

祭りは私物では無い。

 

地域の老若男女皆の愉しみでなければならない。
後進の苦材にしてはならない。
祭りの運営を間違えたなら、人の心は祭りから離れてゆく。
次のハレを迎えるためには、キチッと祭りを閉じなければならない。
過てば、祭りは本当に終わってしまうのだ。

そうは言っても、昂揚の後まだ火照りが残るのに幕を引くのは辛い。

山車を蔵にしまうとき、声を上げて泣く青年達が堪らなく愛おしい。
どなたかが、そう言っていたのを思い出す。

思いはどこでも同じだ。

 

あの日橋の上で憤る若者を消沈させた親子が、山車をしまうのを見ていた。
5年経ち子供は小学生になっている。
ふと見れば子供の目には涙が。
自身の子供時代を思い出し胸が熱くなった父親は、涙を見せぬよう子供を肩車して歩き出した。
「なんで祭り終わっちゃうんだろう。」
同じ問いに親父は何と答えたっけ。
「また始めるために、今は終わらなきゃならないのさ。」
親父の答をそのまま口にした。

遠回りになるが、浅間大社境内を通って帰る。
露天商はバタバタと店を畳み、もうやっている店はなかった。
「じいちゃんとお祭りに来たか?」
「うん、綿菓子を買って貰った!」
「そうか、よかったな」

 

思えば、一緒に露天を見て歩く余裕は、今までは無かったな。
来年こそは、こいつと一緒に鯛焼きを買いに来よう。

十三夜の月が、もう高く昇っていた。

 

 

 

 


解説

もっちゃんへのメッセージは
「もう充分すぎるほどやってきただろう?
そろそろ後進を育てるために、鬼になって突き放せよ。」
年寄りは遅かれ早かれ抜けてゆく。
将来を担う若い者の自覚を育てるためには、荒療治が必要なんだ。

祭りの最後に、晴れの舞台を踏めずに終わった笛吹きたちに感謝を込めて場が設けられた。年寄りで気持ちよく囃しているところにいきなり師匠の笛を渡され、てっちゃんは戸惑いながらも人前で最初で最後の笛を吹いた。

悔い無く祭りを終える事はなかなか出来ないけれど、それが次の祭りへの力になる。
てっちゃんは長いことひきずって居た悔いを、若い仲間の理解でようやく解消出来た。

今年も祭りが終わる。
この祭りが続いている限り、親の思いは子に引き継がれる。
子供に幼い頃の自分を見たら、嬉しくて胸が熱くなるものさ。

 

 

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