祭にっぽん

遠音 2.橋の上で

橋の上で

祭り初日に、幼なじみのてっちゃんが帰ってきた。以前会ったのは奈津子と結婚する前だったから、何十年ぶりだろう。墓地の修繕と寺への永代供養のお願いで、しばらく滞在するという。

奈津子の実家が空いているのでそこに泊まれと勧め、掃除とふとん運びを三人でした。店を開ける時間になり店に戻るとき、てっちゃんは久しぶりに町を見たいからと言って出かけた。

祭りの喧噪や囃子の音が聞こえる境内を避け、てっちゃんは目抜き通りから駅前まで歩いてみた。郷里を離れて三十五年。この間に法事で一〜二回は訪れたが、そのときは用件に追われ改めて町を眺めることもなかった。昔暮らした頃の記憶と町並みはすっかり変わってしまったが、看板の名を見れば昔からの店が変わらずに営業を続けているのがわかる。昔何度も通った居酒屋に立ち寄り、茹で落花生をつまみに一杯引っかける。代替わりして当時初老だった親父さんの姿はすでになく、息子と思われるどこか面立ちが似ている店主が、小気味よく応対している。他にも二三店立ち寄り、ちょっとばかり良い気分で夜の更けた神田川沿いを浅間大社に戻ってきた。

神田橋にさしかかると、人通りも絶えた大通りに不審な一団を見つけた。

胸騒ぎ

袢纏を脱いだのは町名を隠すためか。おまけに梃子棒まで持参とはただ事ではない。いきり立っている若者が梃子棒を放そうとしない。仲間がなだめようとしているようだが、頑として受け付けない。

これは殴り込みか。大事にならぬように、何とかしなけりゃならん。一団はどうやら交番前を通るのを嫌っているようで、てんでに川上を指さしている。てっちゃんは下駄を脱ぐと手に持ち、境内の露店の間を駆け抜け御手洗橋に先回りした。

境内に立ち並ぶ露店の間を下駄を手に駆け抜ける姿を見れば、誰しもただならぬ空気を感じる。
「いた!てっちゃんだ。」

家内と二人であとを追って御手洗橋に着くと、てっちゃんは足の砂をはらい下駄を履き息を整えていたが、不敵にニヤッと笑ったのを私は見逃さなかった。そしててっちゃんが素知らぬ顔で橋の欄干にもたれ川を見ていると思ったら、しばらくしてなんだか危険な雰囲気を漂わせた一団がやって来た。思いのほか時間がかかったなと思いながらてっちゃんが声をかける。
「ちょっと待ちな!」

橋を渡ろうという一団の前に、立ちはだかった。一団の明らかな喧嘩支度は夜目にも判る。

「どうするんだろう」

奈津子が心配そうに言った。さっきの笑みは何か策でもあるのかと見たが、通せんぼしたのは良いが多勢に無勢だ。この年寄り一人で、かなうわけもない。

「許可無く他区に立ち入る事はご遠慮願いたい」

一同顔を見合わせた。当惑の色は隠せない。

「邪魔をしないで貰いたい」

梃子棒を持った男が焦れてドンと橋を突いた。

てっちゃんはぱっと飛び退くと下駄を脱ぎ、半身に構えて手に履いた。

「やる気かい?」

 

「無理だよ、お巡りさんを呼んでくる」

という奈津子を止め、様子を伺うことにした。
30数年前のあの時だって争いを必死で止めようとしたてっちゃんだ。おまけに自信ありげなあの笑みだ、何をするかは判らないが邪魔する訳にはいくまい。

しかし、義を見てせざるは勇なきなりだ。ここは加勢しようと踏み出したのを、奈津子が必死で止める。

「ダメだよ、あなたは向いてないんだからとばっちりで怪我をするのが落ちだよ。」

あの時はたしかにそうだったが、何かしなければと気はあせる。

 

「どきな」

梃子棒男を押しとどめ、年長と見える男が前に出る。心なし微笑んでいるようだ。

「どうぞ履き物をお履き下さい。」

そういうと目くばせをした。

ばかに時間がかかると思ったら、梃子棒男をなだめながらここまで来たためらしい。たしかに誰だって、梃子棒持っての殴り込みを黙って許すわけがない。

ゆっくりと履き物を履き直した

「山車も曳かずに梃子棒持っての他町入りとは穏やかならぬ事、だまって入らす訳にはいかないんだが」

脇から他の若い者が口を出す。

「天下の大道を通るのになんで止められなければならんのか」

年長者が遮る。

てっちゃんが言う。

「天下の大道といえども、祭りの三日間だけはこの道には特別の決まりがある。

祭典実施町内に他の実施町内が許可なく立ち入る事は厳に禁止されている」

「ならば、許可を得たいので役員をここに呼んで欲しい」

「この夜更けに突然の申し入れとは、非常識にもほどがあろう」

じりじりしながら見ているところに、甥の健太がやって来た。手招きして呼び寄せ、一緒に覗いている。

「お前、足は速いか?」

「とびっくらなら苦手だけど、逃げ足なら自信がある。」

「よし、あいつは俺の幼なじみなんだが、一人ではどうにも見ていて心配だ。只の酔っ払いだと思われてもなんだから、頃合いを見てお前の半纏でも貸してやってくれ。」

押し問答

「明日の引き回しに、梃子棒が足りない。明日までに揃えなきゃならんのです」

「梃子棒買うなら、なんで車で行かん」

「祭りで皆飲酒している。運転手が居ないので車では行けない。梃子棒用の丸太なら、一人で二本は運べる。丸太も選ばなきゃならないし握りも加工しなけりゃならないのでこの頭数が必要なんです」

「必要な事ならなんでさっさと手配しない、到底筋の通らぬこと故、断固断わるのが本筋だが、一取り締まりの独断では気が済まぬだろう」

健太がおそるおそる登場する。

てっちゃんはそれに気づき、ちょっとと手招きして、事の子細を告げると町内の役員を呼びに走らせようとしたが、もう一度呼び止めた。懐から財布を出すと紙幣を一枚折り畳んで渡し、耳打ちした。

「どうせ役員も家には居るまい。探すふりして帰ったら、けやきでラーメンでも食って寝ちまいな」

健太はふと思い出し、袢纏を脱いでてっちゃんに渡し走り出した。

「お!済まないな」

礼を言って袢纏を羽織り、こう言った。

「若いのが探しに行ったから、じきに来るとは思うが、しばらく我慢してくんな。」

この季節、日のあるうちは心地よいが、陽が沈んだら夜風は身にしみる。
こちらは物陰から、膠着状況にジリジリしながら、二人で見守って居る。橋の上は無言で対峙しているので、川の水音がやけに大きく聞こえる。

てっちゃんは朝までこのままでは、さすがにちょっと辛いと思ったそうだ。
年長者がタバコを勧めたので、礼を言って一本もらいふかしてみた。

酔いもすっかり醒め、川風が冷たい。

収束

神田川対岸に人影が見えた。

「此処にいたのか」

寄って来たのは若者たちの先輩だろう年長者だ。

「会所に差し入れを持って行ったら誰もいない。どこへ行ったかとあちこち探したぞ。」

そう言いながら、

「ホーラお兄ちゃんだ。」

抱いていた子供を、いきり立っていた若者に渡す。

眠い目をこすりながら抱っこしようとした子供が若者の形相に驚き、泣きながら父親にしがみつく。

「泣かすんじゃない!」

大声で一喝され、叱られた若者は縮み上がった。いきり立っていたのもどこへやらだ。

「なんて顔してるんだ、鬼みたいだぞ。
あーあ、大好きなお兄ちゃんだったのにな。
こいつに嫌われなきゃ良いけど」

一団を見回し、彼らを抑えていた先輩格の若者と顔を見交わし、軽く頷いた。

「さて、刺身が乾いちまう。行くぞ!」

促され、去る一団。

年長者は振り返り、老人に歩み寄った。

「不都合がありましたら私が承りますが」

「いいや、何も起こらなかったのだから、何も無しだ」

「ありがとうございました。それでは」

深々と一礼して、去っていった。

橋の下流側暗がりから現れた老人が、てっちゃんに歩み寄る。

「有難うございました。おかげで無事に治まりました」

どうやら関係者らしい。

「いや、手柄はあの小さな子どもだ。
自分は通せんぼをしただけで、膠着状態には正直やっきりしていたところ。
あの子のお陰でいきり立っていた若者がいっぺんに醒めました」

「あの子は私の孫で、父親が連れ出した時は、家人が皆心配しました。でも、私は逆にあいつの覚悟を確信しました。修羅場をわざわざ子どもに見せるほど馬鹿ではありませんから」

「そうでしたか」

「しかしそれにしても久しぶりです。何時こちらにおいでになりましたか?」

「おや、悪い事はできないものですな。素性がばれてましたか」

「昔、囃子をやっていた頃、おおどの玉を盗もうと遠くで耳を澄まし、苦労したものです」

「昔ですなあ」

ふと寂しげな表情を浮かべたので、老人は事情があるのを察した。

「さて、子供を寝かせに帰ります」

老人が去ると静寂が戻り、川の水音しか聞こえない。
てっちゃんが歩き出したので、声をかけた。

「よっ、日本一!」

声をかけるとてっちゃんは振り返り、私とかみさんとさっきの若者がいるのに気付いた。

「甥っ子の健太だ」

てっちゃんが袢纏を返すと、健太が紙幣を返そうとするので、

「それはお前さんにやった物だ。機転で助けられた。とっときな」

「ラーメン代にしては多すぎます。こんなには受け取れない」

確かに一桁間違えたようだ。でもいまさら後には引けない。

「ならそれでみんなで飲もうか。うちで良ければいっぱい飲めるぞ」

芙蓉亭を目指して橋を去った。

満月に照らされた境内の、誰も居ないと思ったあちこちの露店の影から立ち去る人影が見えるのだが、その数の多い事。
一塊は昼間梃子棒男ともめた町内の青年達。どうにも治まらない「梃子棒」の剣幕に仲間の青年の一人が、もめた相手町内の親しい青年に連絡していたのだった。もめ事の元になった青年は町内の年寄りや仲間に叱られ、今年の祭りは以後謹慎となり早々に帰宅した。連絡を貰って対策を話し合ったが、今日のところは散会とし翌日以降酔いの醒めた所で相手の町内と会合を持つ事にしたのだった。
しかしどうにも気に掛かる。散り散りに帰ったはずが、浅間大社境内に自然に集まった。喧嘩のためではないが相手の動きは気に掛かる物だ。露店の影から遠巻きに御手洗橋を見守っていた。無事に収まり、引き上げたのを見て一同ほっとしたのは言うまでもない。

他の見物人はもめた町内の青年がてんでに浅間大社に向かうのを見て、何かあると察し後をつけたもの。それが仲間を呼び、かなりの数がこの場面を見ていたのだ。

やれやれ、物見高いは人の常とは言うものの、いったい何を期待していたんだろう。あちこちの露天の影から立ち去る人影が見えた。

店に向かう途中、どこかの荒くれ者が梃子棒を持って走ってゆくのが見えた。

「あの野郎め」

「知ってるのか?」

「多々問題有りの要注意人物さ。」

健太に尋ねた。

「まさかあいつに教えたんじゃないだろうな?」

「ややこしくなるから、あそこだけは避けた」

御手洗橋に駆けつけた荒くれ者は誰もいないのを見て拍子抜けしたが、このままおめおめと帰るわけにも行かない。誰か通りかかるのを待って悪たれようと遅くまで居たが誰も通らず、風邪をひいてしまった。

芙蓉亭にて

「あの時、」

「どの時だい?」

「御手洗橋まで裸足で走って、下駄をはき直した時さ
不敵にニヤッと笑っただろう?
何でだ」

「あの時か、
笑ったかどうか憶えてないが、芝居じみた問答をする事になりそうだったんでな」

聞けば、数年前から公園で即興芝居をする若者と知り合い、何度か参加する事もあったようだ。そんな事から、町内関係者を装ってどんなやりとりをしようかと役どころを走りながら考えていたからだそうだ。

思い出話から今の祭り事情に進む。
今は祭り低迷を経ての復興期だが、昔の記憶がいまだに祭りに対する反感となって残っている。 今の青年は酒もろくに飲まないのに、町内の反対する奴らは飲み放題喧嘩し放題の祭りというイメージで凝り固まっている。

「昔の青年の悪行が十年経っても二十年経っても頭の中から抜けないのさ」

「てえと、俺も元凶の一つって事か」

「おまえは違うさ。あれは巻き添えと誤解だったじゃないか」

「そうは言っても、その誤解を解消できないまま郷里を後にしたから、今の青年の足を引っ張っているには違いないな。今の若いもんに祭りを重荷として残すわけには行かない。後始末をしなければなるまい……」


解説

平成元年5月30日に、秋まつり青年協議会(現富士宮まつり青年協議会)全体協議会で浅間大社祭事係の加藤長三郎氏をお招きしてお話を聞きました。

加藤長三郎氏講演より
・神田と立宿で喧嘩になったことがある。その場は分かれたもののおさまらず、神田川に集まり喧嘩に行こうとしたが、西町が通さなかったので事無きを得た。

この様子を地元紙は「神田河原にのろしを上げて」と面白可笑しく書き立てたそうです。

大正時代か昭和初期か年代は不詳ですが、このお話を題材に使用したもの。

浅間大社
作品の舞台、浅間大社と周辺の空撮 2001.2.4

 

「橋の上で」の舞台

この浅間大社境内に露店が立ち並んだ航空写真を、Yahoo!地図で見る事が出来ます。
平成24年11月4日正午前の空撮地図

 

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