遠音 1.社人町芙蓉亭
社人町芙蓉亭
富士宮市民文化会館の前にあまり目立たない喫茶店がある。
名前は「芙蓉亭」、私の店だ。芙蓉亭の名前には実は二つの意味があって、お盆の頃から晩秋まで大きな花を見せてくれる庭の酔芙蓉と、文化会館の所にあった富士大宮司家の居館「芙蓉館」に因んだ物だ。
恋女房と二人で切り盛りしている。
店には家内の占い目当ての若い子が結構来る。亭主の私が忠告することは、客の悩みに深入りするなだ。でもそれができずに身を削る結果となる。
街角の占い師の方を時々見ながら立ち去りも出来ない。そんな娘を見かねて声をかけた。
「近くで喫茶店やってるものだけど、良かったらコーヒー飲んでって」
「え?」
「おごりおごり。さぁ、行くよ」
かなり強引に連れ帰った。
「占い師の方見てたでしょう。見てもらうつもりだったの?」
「はい」
「あたらないわけじゃないけど、悩みの解決にはならないよ。仕事とは言え、人の悩みを背負い込むことまではしないからね。思い込みで自分を縛っているのに気付けば、自ずと道は開けるもの。開き直ることさ。自分で納得するしかない」
人は救いを求めて占いにすがるけれど、事実を突きつけて突き放す事しか出来ない。
なぜなら全ての悩みを引き受けていたら占い師だって身が持たないからだ。占いの究極は占う前に答が見えること。直感は過たずだ。
少しも占っては居ない。でも家内は占いだという。
悩める者の問いは見ただけで判る。
わかりきった答を自分で認めたくないだけ。
思い込みの鎧で全身を覆い身動きすら出来ない相談者に、言う事はいつも同じ。
「あなたが聞きたい答は、あなたの中にすでにあるんだから」
鎧を自分で引っぺがす糸口を探し、指摘してやる事。相談者が元気になって再び店を訪れる事が家内の生き甲斐だった。
家内の占いは、私が教えた物。
占いに熱中していたときに、占う前に結果がわかるという境地に至ったが、人生経験未熟な者に何の助言が出来ようか。
と言う事で、我が結婚を占い最良の卦を得た事で占いを封印した。
どうやら、それが家内に飛び火したもののようだ。
酔芙蓉もいよいよ終わりを迎え、祭りまで一月、午後のちょっと客足の遠ざかる時間に幼なじみのたけちゃんがやって来た。
しばらくして若い女性が合流し、何やら話し込んでいる。そこに帰ってきたかみさんが、私に耳打ちした。買い物帰りに家の前まで来たら、見慣れない男が店を見ながら電話をしていたという。興信所だろうか? それを聞くとたけちゃんを呼び、かみさんに若い子の相手を頼み、店前の札を「準備中」に掛け替え、たけちゃんと連れだってあわただしく店を出た。
呆気にとられる若い子に、かみさんは言った。
「興信所かしら、今外で電話していたの。多分依頼者への連絡ね。たけちゃんは連れ出したから、興信所はそっちについていったと思う。でも飛び出した奥さんが怒鳴り込んでくるかも知れないから、貴女は私のお客様と言う事でお芝居して。」
若い子は戸惑いながらも、こっくりとうなずいた。
「じゃぁ占い中と言う事で、始めるわよ」
しばらくすると荒々しく階段を上がる音がして顔を出したのは、幼なじみの泰子さん。たけちゃんの奥さんだ。
「うちの人来ていない?」
「さっきうちの人と一緒に出て行ったけど、何か急ぎの用なの? 行き先を言ってかなかったから、じきに帰るとは思うけど」
「そうなの? じゃあ、ここで待たせて貰って良いかな」
「どうぞ、取り敢えず水はいかがですか」
水を飲むとすこしは落ち着いたようで、店の中を見回していた。
占い中の若い女性を見た時、
「じゅん……ちゃん?」
思わず声が出た。
若い女性は、その声に反応した。
「母親は順子ですが、私は希美(のぞみ)と言います。」
「お母さんの旧姓は?」
「山田です。」
「あら、あなた順ちゃんの娘さんなの。そっくりだもの間違えるはずね。お母さんはお元気?」
「母は十年前に亡くなりました」
泰子さんは少し取り乱し、
「死んじゃったの?」
にじみ出た涙はやがてぽろぽろとこぼれ落ちる。
気を取り直しながら、尋ねた。
「どうして?」
たけちゃんと泰子さんは、私と奈津子の幼なじみ。
似たような関係で住まいも近く、今でも行き来がある。
希美と名乗る娘の母順子さんもてっちゃんも幼なじみ。
じゅんちゃんは、その美貌から学校では男子憧れの的だった。
たけちゃんものぼせた口で、当時泰子さんには見向きもしなかったらしい。
泰子さんは順子さんと仲良しで、いつも連れ立って歩き、うるさくつきまとう男どもを追い払うのが仕事だった。
たけちゃんが追い払われずに済んだのは、幼なじみで帰り道が一緒だったから。
そして泰子さんがたけちゃんを好きだったから。
順子さんが駆け落ちしたと聞いたのは、まだ二十台半ばの事だった。
そして希美さんが生まれたのだが、異郷での若い者二人の暮らしは頼る人もなく、苦しい物だった。
そんな暮らしに耐えきれず、駆け落ち相手は逃げ出した。
途方に暮れる順子さんを救ったのが、手芸店を営む老婦人。
「充分な給金は払えないけれど、店に同居すれば食べるくらいは何とかなるから、よかったらうちにおいで」
言葉に甘え店を手伝い、借金の返済に店が閉まってからの時間希美を店主に預け、パートやアルバイトを見つけて働いた。
やっと借金を返し終わったところで、無理がたたり体調を崩し急死。
元より華奢な体に、病を隠し無理を続けた事で燃え尽きたのだろう。
店主は非力を大いに悔い、残された希美を育ててくれた。
希美は高校を出て店を手伝っていたが、店主が他界し、見知らぬ相続人が店を売り払うというので、居場所が無くなった。
母の遺骨をせめて実家のお墓に納めて上げたいと初めて母の実家を尋ねたら、家は残っていたものの祖父母もずいぶん前に他界していた。
でも、お隣の方が家の鍵をあずかり、家の手入れをしながら一人娘順子の帰るのを待っていてくれた。
希美が訪ねたとき、お隣さんは娘の順子が帰ったものだと思い込み、色々話してくれるのだが、知らない母の若い頃の事ばかり。
順子の娘だと告げると
「あぁ……そうだよね、居なくなった頃のままなんてあり得無いよね」
そう言って笑った。
「お墓の事や家の事などどうしたものか見当もつかず、困っていたら同級生の渡辺さんの事を教えていただいたんです。」
納得した。
「あの人、はなっから言えば良いものを、なんで隠すんだろうね」
修羅場を怖れていた奈津子は、ホッと胸をなで下ろした。そうか、順ちゃんの娘さんだったのか。確かによく似てる。でも、たけちゃんもなんで隠す必要があったんだろう。
ともかく、問題解決を告げるために神社の公園まで呼びに来た。
それまで、私はたけちゃんに話を聞いていたので、内容は判っていた。
純情なお人好しは、相談に乗りながら娘さんに初恋の相手の面影を探していたのだろう。
亭主の挙動に不審を感じ、興信所を手配した泰子さんの感もなかなかの物である。
「なんで泰子さんに言わなかったの?」
「あいつが一緒だと、俺が話を聞く間も与えてくれないに決まってるじゃ無いか」
「確かにそうだね。さっきだって口を挟む間が無かったもの」
それからは、たけちゃんちで夫婦揃って相談に乗っていた。お寺の事に相続の事など親身に相談に乗っていて、仕事は店を手伝って貰う事にした。子供の無かった夫婦だから、その可愛がりようと言ったらまわりがひくほど。
どうやら養女に迎えたいと思っているようだ。
先走ってがっかりしなければ良いがと、少し心配になる。
祭りが迫り、毎夜聞こえる囃子の音も仕上がりを迎えている。
幼なじみのてっちゃんも10年ぶりぐらいに帰ってくると言う。
積もる話を聞くのが楽しみだ。
解説
社人町 浅間大社西門通りの古い呼び名大宮司家や神社に務める人たちが住んでいた
芙蓉館 富士大宮司家の居館で、現富士宮市民文化会館の所にあった
富士大宮司家 延暦20年(801)より明治元年まで浅間大社祀職として44代続いた