遠音 祭りが終わる時
へんぽらい
社人町芙蓉亭
富士宮市民文化会館の前にあまり目立たない喫茶店がある。
名前は「芙蓉亭」、私の店だ。芙蓉亭の名前には実は二つの意味があって、お盆の頃から晩秋まで大きな花を見せてくれる庭の酔芙蓉と、文化会館の所にあった富士大宮司家の居館「芙蓉館」に因んだ物だ。
恋女房と二人で切り盛りしている。
その酔芙蓉もいよいよ終わりを迎え、祭りまで一月、午後のちょっと客足の遠ざかる時間に幼なじみのたけちゃんがやって来た。
しばらくして若い女性が合流し、何やら話し込んでいる。そこに帰ってきたかみさんが、私に耳打ちした。買い物帰りに家の前まで来たら、見慣れない男が店を見ながら電話をしていたという。興信所だろうか? それを聞くとたけちゃんを呼び、かみさんに若い子の相手を頼み、店前の札を「準備中」に掛け替え、たけちゃんと連れだってあわただしく店を出た。
呆気にとられる若い子に、かみさんは言った。
「興信所かしら、今外で電話していたの。多分依頼者への連絡ね。たけちゃんは連れ出したから、興信所はそっちについていったと思う。でも飛び出した奥さんが怒鳴り込んでくるかも知れないから、貴女は私のお客様と言う事でお芝居して。」
若い子は戸惑いながらも、こっくりとうなずいた。
「じゃぁ占い中と言う事で、始めるわよ」
しばらくすると荒々しく階段を上がる音がして顔を出したのは、幼なじみの泰子さん。たけちゃんの奥さんだ。
「うちの人来ていない?」
「さっきうちの人と一緒に出て行ったけど、何か急ぎの用なの? 行き先を言ってかなかったから、じきに帰るとは思うけど」
「そうなの? じゃあ、ここで待たせて貰って良いかな」
「どうぞ、取り敢えず水はいかがですか」
水を飲むとすこしは落ち着いたようで、店の中を見回していた。
占い中の若い女性を見た時、
「じゅん……ちゃん?」
思わず声が出た。
若い女性は、その声に反応した。
「母親は順子ですが、私は希美(のぞみ)と言います。」
「お母さんの旧姓は?」
「山田です。」
「あら、あなた順ちゃんの娘さんなの。そっくりだもの間違えるはずね。お母さんはお元気?」
「母は十年前に亡くなりました」
泰子さんは少し取り乱し、
「死んじゃったの?」
にじみ出た涙はやがてぽろぽろとこぼれ落ちる。
気を取り直しながら、尋ねた。
「どうして?」
たけちゃんと泰子さんは、私と奈津子の幼なじみ。
似たような関係で住まいも近く、今でも行き来がある。
希美と名乗る娘の母順子さんもてっちゃんも幼なじみ。
じゅんちゃんは、その美貌から学校では男子憧れの的だった。
たけちゃんものぼせた口で、当時泰子さんには見向きもしなかったらしい。
泰子さんは順子さんと仲良しで、いつも連れ立って歩き、うるさくつきまとう男どもを追い払うのが仕事だった。
たけちゃんが追い払われずに済んだのは、幼なじみで帰り道が一緒だったから。
そして泰子さんがたけちゃんを好きだったから。
順子さんが駆け落ちしたと聞いたのは、まだ二十歳前の事だった。
そして希美さんが生まれたのだが、異郷での若い者二人の暮らしは頼る人もなく、苦しい物だった。
そんな暮らしに耐えきれず、生活苦から駆け落ち相手は逃げ出した。
途方に暮れる順子さんを救ったのが、手芸店を営む老婦人。
「充分な給金は払えないけれど、店に同居すれば食べるくらいは何とかなるから、うちにおいで」
言葉に甘え店を手伝い、借金の返済に店が閉まってからの時間希美を店主に預け、パートやアルバイトを見つけて働いた。
やっと借金を返し終わったところで、無理がたたり体調を崩し急死。
病を隠し無理を続けた事で燃え尽きたのだろう。
店主は非力を大いに悔い、残された希美を育ててくれた。
希美は高校を出て店を手伝っていたが、店主が他界し、見知らぬ相続人が店を売り払うというので、居場所が無くなった。
母の遺骨をせめて実家のお墓に納めて上げたいと初めて母の実家を尋ねたら、家は残っていたものの祖父母もずいぶん前に他界していた。
でも、お隣の方が家の鍵をあずかり、家の手入れをしながら一人娘順子の帰るのを待っていてくれた。
希美が訪ねたとき、お隣さんは娘の順子が帰ったものだと思い込み、色々話してくれるのだが、知らない母の若い頃の事ばかり。
順子の娘だと告げると
「あぁ……そうだよね、居なくなった頃のままなんてあり得無いよね」
「お墓の事や家の事などどうしたものか見当もつかず、困っていたら同級生の渡辺さんの事を教えていただいたんです。」
納得した。
「あの人、はなっから言えば良いものを、なんで隠すんだろうね」
修羅場を怖れていた奈津子は、ホッと胸をなで下ろした。そうか、順ちゃんの娘さんだったのか。確かによく似てる。でも、たけちゃんもなんで隠す必要があったんだろう。
ともかく、問題解決を告げるために神社の公園まで呼びに来た。
「なんで泰子さんに言わなかったの?」
「あいつが一緒だと、俺が話を聞く間も与えてくれないに決まってるじゃ無いか」
「確かにそうだね。さっきだって口を挟む間が無かったもの」
それからは、たけちゃんちで夫婦揃って相談に乗っていた。お寺の事に相続の事など親身に相談に乗っていて、仕事は店を手伝って貰う事にした。子供の無かった夫婦だから、その可愛がりようと言ったらまわりがひくほど。どうやら養女に迎えたいと思っているようだ。先走ってがっかりしなければ良いがと、少し心配になる。
占い
店には家内の占い目当ての若い子が結構来る。亭主の私が忠告することは、客の悩みに深入りするなだ。でもそれができずに身を削る結果となる。
街角の占い師の方を時々見ながら立ち去りも出来ない。そんな娘を見かねて声をかけた。
「近くで喫茶店やってるものだけど、良かったらコーヒー飲んでって」
「え?」
「おごりおごり。さぁ、行くよ」
かなり強引に連れ帰った。
「占い師の方見てたでしょう。見てもらうつもりだったの?」
「はい」
「あたらないわけじゃないけど、悩みの解決にはならないよ。仕事とは言え、人の悩みを背負い込むことまではしないからね。思い込みで自分を縛っているのに気付けば、自ずと道は開けるもの。開き直ることさ。自分で納得するしかない」
人は救いを求めて占いにすがるけれど、事実を突きつけて突き放す事しか出来ない。
なぜなら全ての悩みを引き受けていたら占い師だって身が持たないからだ。占いの究極は占う前に答が見えること。直感は過たずだ。
少しも占っては居ない。でも家内は占いだという。
悩める者の問いは見ただけで判る。
わかりきった答を自分で認めたくないだけ。
思い込みの鎧で全身を覆い身動きすら出来ない相談者に、言う事はいつも同じ。
「あなたが聞きたい答は、あなたの中にすでにあるんだから」
鎧を自分で引っぺがす糸口を探し、指摘してやる事。相談者が元気になって再び店を訪れる事が家内の生き甲斐だった。
家内の占いは、私が教えた物。
占いに熱中していたときに、占う前に結果がわかるという境地に至ったが、人生経験未熟な者に何の助言が出来ようか。
と言う事で、我が結婚を占い最良の卦を得た事で占いを封印した。
どうやら、それが家内に飛び火したもののようだ。
橋の上で
祭り初日に、幼なじみのてっちゃんが帰ってきた。以前会ったのは奈津子と結婚する前だったから、何十年ぶりだろう。墓地の修繕と寺への永代供養のお願いで、しばらく滞在するという。
奈津子の実家が空いているのでそこに泊まれと勧め、掃除とふとん運びを三人でした。店を開ける時間になり店に戻るとき、てっちゃんは久しぶりに町を見たいからと言って出かけた。
祭りの喧噪や囃子の音が聞こえる境内を避け、てっちゃんは目抜き通りから駅前まで歩いてみた。郷里を離れて三十五年。この間に法事で一〜二回は訪れたが、そのときは用件に追われ改めて町を眺めることもなかった。昔暮らした頃の記憶と町並みはすっかり変わってしまったが、看板の名を見れば昔からの店が変わらずに営業を続けているのがわかる。昔何度も通った居酒屋に立ち寄り、茹で落花生をつまみに一杯引っかける。代替わりして当時初老だった親父さんの姿はすでになく、息子と思われるどこか面立ちが似ている店主が、小気味よく応対している。他にも二三店立ち寄り、ちょっとばかり良い気分で夜の更けた神田川沿いを浅間大社に戻ってきた。
神田橋にさしかかると、人通りも絶えた大通りに不審な一団を見つけた。
胸騒ぎ
袢纏を脱いだのは町名を隠すためか。おまけに梃子棒まで持参とはただ事ではない。いきり立っている若者が梃子棒を放そうとしない。仲間がなだめようとしているようだが、頑として受け付けない。
これは殴り込みか。大事にならぬように、何とかしなけりゃならん。一団はどうやら交番前を通るのを嫌っているようで、てんでに川上を指さしている。てっちゃんは下駄を脱ぐと手に持ち、境内の露店の間を駆け抜け御手洗橋に先回りした。
境内に立ち並ぶ露店の間を下駄を手に駆け抜ける姿を見れば、誰しもただならぬ空気を感じる。
「いた!てっちゃんだ。」
家内と二人であとを追って御手洗橋に着くと、てっちゃんは足の砂をはらい下駄を履き息を整えていたが、不敵にニヤッと笑ったのを私は見逃さなかった。そしててっちゃんが素知らぬ顔で橋の欄干にもたれ川を見ていると思ったら、しばらくしてなんだか危険な雰囲気を漂わせた一団がやって来た。思いのほか時間がかかったなと思いながらてっちゃんが声をかける。
「ちょっと待ちな!」
橋を渡ろうという一団の前に、立ちはだかった。一団の明らかな喧嘩支度は夜目にも判る。
「どうするんだろう」
奈津子が心配そうに言った。さっきの笑みは何か策でもあるのかと見たが、通せんぼしたのは良いが多勢に無勢だ。この年寄り一人で、かなうわけもない。
「許可無く他区に立ち入る事はご遠慮願いたい」
一同顔を見合わせた。当惑の色は隠せない。
「邪魔をしないで貰いたい」
梃子棒を持った男が焦れてドンと橋を突いた。
てっちゃんはぱっと飛び退くと下駄を脱ぎ、半身に構えて手に履いた。
「やる気かい?」
「無理だよ、お巡りさんを呼んでくる」
という奈津子を止め、様子を伺うことにした。
30数年前のあの時だって争いを必死で止めようとしたてっちゃんだ。おまけに自信ありげなあの笑みだ、何をするかは判らないが邪魔する訳にはいくまい。
しかし、義を見てせざるは勇なきなりだ。ここは加勢しようと踏み出したのを、奈津子が必死で止める。
「ダメだよ、あなたは向いてないんだからとばっちりで怪我をするのが落ちだよ。」
あの時はたしかにそうだったが、何かしなければと気はあせる。
「どきな」
梃子棒男を押しとどめ、年長と見える男が前に出る。心なし微笑んでいるようだ。
「どうぞ履き物をお履き下さい。」
そういうと目くばせをした。
ばかに時間がかかると思ったら、梃子棒男をなだめながらここまで来たためらしい。たしかに誰だって、梃子棒持っての殴り込みを黙って許すわけがない。
ゆっくりと履き物を履き直した
「山車も曳かずに梃子棒持っての他町入りとは穏やかならぬ事、だまって入らす訳にはいかないんだが」
脇から他の若い者が口を出す。
「天下の大道を通るのになんで止められなければならんのか」
年長者が遮る。
てっちゃんが言う。
「天下の大道といえども、祭りの三日間だけはこの道には特別の決まりがある。
祭典実施町内に他の実施町内が許可なく立ち入る事は厳に禁止されている」
「ならば、許可を得たいので役員をここに呼んで欲しい」
「この夜更けに突然の申し入れとは、非常識にもほどがあろう」
じりじりしながら見ているところに、甥の健太がやって来た。手招きして呼び寄せ、一緒に覗いている。
「お前、足は速いか?」
「とびっくらなら苦手だけど、逃げ足なら自信がある。」
「よし、あいつは俺の幼なじみなんだが、一人ではどうにも見ていて心配だ。只の酔っ払いだと思われてもなんだから、頃合いを見てお前の半纏でも貸してやってくれ。」
押し問答
「明日の引き回しに、梃子棒が足りない。明日までに揃えなきゃならんのです」
「梃子棒買うなら、なんで車で行かん」
「祭りで皆飲酒している。運転手が居ないので車では行けない。梃子棒用の丸太なら、一人で二本は運べる。丸太も選ばなきゃならないし握りも加工しなけりゃならないのでこの頭数が必要なんです」
「必要な事ならなんでさっさと手配しない、到底筋の通らぬこと故、断固断わるのが本筋だが、一取り締まりの独断では気が済まぬだろう」
健太がおそるおそる登場する。
てっちゃんはそれに気づき、ちょっとと手招きして、事の子細を告げると町内の役員を呼びに走らせようとしたが、もう一度呼び止めた。懐から財布を出すと紙幣を一枚折り畳んで渡し、耳打ちした。
「どうせ役員も家には居るまい。探すふりして帰ったら、けやきでラーメンでも食って寝ちまいな」
健太はふと思い出し、袢纏を脱いでてっちゃんに渡し走り出した。
「お!済まないな」
礼を言って袢纏を羽織り、こう言った。
「若いのが探しに行ったから、じきに来るとは思うが、しばらく我慢してくんな。」
この季節、日のあるうちは心地よいが、陽が沈んだら夜風は身にしみる。
こちらは物陰から、膠着状況にジリジリしながら、二人で見守って居る。橋の上は無言で対峙しているので、川の水音がやけに大きく聞こえる。
てっちゃんは朝までこのままでは、さすがにちょっと辛いと思ったそうだ。
年長者がタバコを勧めたので、礼を言って一本もらいふかしてみた。
酔いもすっかり醒め、川風が冷たい。
収束
神田川対岸に人影が見えた。
「此処にいたのか」
寄って来たのは若者たちの先輩だろう年長者だ。
「会所に差し入れを持って行ったら誰もいない。どこへ行ったかとあちこち探したぞ。」
そう言いながら、
「ホーラお兄ちゃんだ。」
抱いていた子供を、いきり立っていた若者に渡す。
眠い目をこすりながら抱っこしようとした子供が若者の形相に驚き、泣きながら父親にしがみつく。
「泣かすんじゃない!」
大声で一喝され、叱られた若者は縮み上がった。いきり立っていたのもどこへやらだ。
「なんて顔してるんだ、鬼みたいだぞ。
あーあ、大好きなお兄ちゃんだったのにな。
こいつに嫌われなきゃ良いけど」
一団を見回し、彼らを抑えていた先輩格の若者と顔を見交わし、軽く頷いた。
「さて、刺身が乾いちまう。行くぞ!」
促され、去る一団。
年長者は振り返り、老人に歩み寄った。
「不都合がありましたら私が承りますが」
「いいや、何も起こらなかったのだから、何も無しだ」
「ありがとうございました。それでは」
深々と一礼して、去っていった。
橋の下流側暗がりから現れた老人が、てっちゃんに歩み寄る。
「有難うございました。おかげで無事に治まりました」
どうやら関係者らしい。
「いや、手柄はあの小さな子どもだ。
自分は通せんぼをしただけで、膠着状態には正直やっきりしていたところ。
あの子のお陰でいきり立っていた若者がいっぺんに醒めました」
「あの子は私の孫で、父親が連れ出した時は、家人が皆心配しました。でも、私は逆にあいつの覚悟を確信しました。修羅場をわざわざ子どもに見せるほど馬鹿ではありませんから」
「そうでしたか」
「しかしそれにしても久しぶりです。何時こちらにおいでになりましたか?」
「おや、悪い事はできないものですな。素性がばれてましたか」
「昔、囃子をやっていた頃、おおどの玉を盗もうと遠くで耳を澄まし、苦労したものです」
「昔ですなあ」
ふと寂しげな表情を浮かべたので、老人は事情があるのを察した。
「さて、子供を寝かせに帰ります」
老人が去ると静寂が戻り、川の水音しか聞こえない。
てっちゃんが歩き出したので、声をかけた。
「よっ、日本一!」
声をかけるとてっちゃんは振り返り、私とかみさんとさっきの若者がいるのに気付いた。
「甥っ子の健太だ」
てっちゃんが袢纏を返すと、健太が紙幣を返そうとするので、
「それはお前さんにやった物だ。機転で助けられた。とっときな」
「ラーメン代にしては多すぎます。こんなには受け取れない」
確かに一桁間違えたようだ。でもいまさら後には引けない。
「ならそれでみんなで飲もうか。うちで良ければいっぱい飲めるぞ」
芙蓉亭を目指して橋を去った。
満月に照らされた境内の、誰も居ないと思ったあちこちの露店の影から立ち去る人影が見えるのだが、その数の多い事。
一塊は昼間梃子棒男ともめた町内の青年達。どうにも治まらない「梃子棒」の剣幕に仲間の青年の一人が、もめた相手町内の親しい青年に連絡していたのだった。もめ事の元になった青年は町内の年寄りや仲間に叱られ、今年の祭りは以後謹慎となり早々に帰宅した。連絡を貰って対策を話し合ったが、今日のところは散会とし翌日以降酔いの醒めた所で相手の町内と会合を持つ事にしたのだった。
しかしどうにも気に掛かる。散り散りに帰ったはずが、浅間大社境内に自然に集まった。喧嘩のためではないが相手の動きは気に掛かる物だ。露店の影から遠巻きに御手洗橋を見守っていた。無事に収まり、引き上げたのを見て一同ほっとしたのは言うまでもない。
他の見物人はもめた町内の青年がてんでに浅間大社に向かうのを見て、何かあると察し後をつけたもの。それが仲間を呼び、かなりの数がこの場面を見ていたのだ。
やれやれ、物見高いは人の常とは言うものの、いったい何を期待していたんだろう。あちこちの露天の影から立ち去る人影が見えた。
店に向かう途中、どこかの荒くれ者が梃子棒を持って走ってゆくのが見えた。
「あの野郎め」
「知ってるのか?」
「多々問題有りの要注意人物さ。」
健太に尋ねた。
「まさかあいつに教えたんじゃないだろうな?」
「ややこしくなるから、あそこだけは避けた」
御手洗橋に駆けつけた荒くれ者は誰もいないのを見て拍子抜けしたが、このままおめおめと帰るわけにも行かない。誰か通りかかるのを待って悪たれようと遅くまで居たが誰も通らず、風邪をひいてしまった。
芙蓉亭にて
「あの時、」
「どの時だい?」
「御手洗橋まで裸足で走って、下駄をはき直した時さ
不敵にニヤッと笑っただろう?
何でだ」
「あの時か、
笑ったかどうか憶えてないが、芝居じみた問答をする事になりそうだったんでな」
聞けば、数年前から公園で即興芝居をする若者と知り合い、何度か参加する事もあったようだ。そんな事から、町内関係者を装ってどんなやりとりをしようかと役どころを走りながら考えていたからだそうだ。
思い出話から今の祭り事情に進む。
今は祭り低迷を経ての復興期だが、昔の記憶がいまだに祭りに対する反感となって残っている。 今の青年は酒もろくに飲まないのに、町内の反対する奴らは飲み放題喧嘩し放題の祭りというイメージで凝り固まっている。
「昔の青年の悪行が十年経っても二十年経っても頭の中から抜けないのさ」
「てえと、俺も元凶の一つって事か」
「おまえは違うさ。あれは巻き添えと誤解だったじゃないか」
「そうは言っても、その誤解を解消できないまま郷里を後にしたから、今の青年の足を引っ張っているには違いないな。今の若いもんに祭りを重荷として残すわけには行かない。後始末をしなければなるまい……」
てっちゃんの決心
墓地の改修が終わる前に、てっちゃんがやせがまんで盲腸をこじれさせたので、病院での緊急手術に付き添った。死んでもおかしくないという医師の脅かしで、てっちゃんは最悪の事態も覚悟したようだ。私に手帳を渡し、東京の住まいを告げた。もしもの時には後始末を頼むというのだ。大げさな。
大家の女名前を見て思った。もしかしたらてっちゃんの好きな人じゃないかってね。緊急手術中に電話をして、大家の女性にてっちゃんの幼なじみだがてっちゃんが盲腸で緊急手術中だと告げた。
応対した女性の狼狽ぶりに確信した。取り乱し方が尋常でなかったからだ。そして、「あの医者の言いようはいつもあんなで、ひどく大げさなんです」
となだめながら、カマをかけてみた。
「あいつ、保険証を持ってきてないみたいなんですが、判りますでしょうか?」
「たぶんいつも使っている小引き出しにあると思いますので、私が持って行きます」
自分がもらいに行くと言っても、すぐにでも駆けつけるというその剣幕に、思わず
「お願いします」
と答えていた。
思えば短いものでてっちゃんが郷里を出てから三十年余が経ち、郷里で暮らした時間より異郷で過ごした時間の方が長くなっていた。
独立
後日てっちゃんに聞いた話だ。
建築会社に勤務し器用さと人柄を見込まれて二十余年、世話になった社長も亡くなり会社も代替わりした。新しい社長も子供時代から子守した間柄だから気心は知れているが、逆に気を遣われるのがなんだか居心地が悪い。若手も充分育ち代替わりもうまくいったから、年寄りが身を退くにはちょうど良い頃合いだと思った。慰留されるのは嬉しいが、引き時も肝心。何かあったら必ず駆けつけるからと約束し、定年には間があったが退職を告げた。これからは修繕や補修を生業とする。
さて急な決心ゆえ引っ越し先が決まるまでの間、わずかばかりの荷物を預かってもらい、会社と同僚に別れを告げて新たな住まいを探す事となる。どうせ一人なのだから、下町の空き店舗か空き住宅でも借りて、電話で受けた仕事をこなせば良かろう。そんなつもりで古い裏通りを歩いていたとき、狭い道ぎりぎりにバックで入ってきた車に遭遇した。窓から右後ろは見ているが、左後ろにいる自分には気付いていない。飛び退いた拍子に道ばたにあった植木鉢に足を引っかけ、植木ごと転倒。大きな音に驚きブレーキをかけて飛び出したのは、中年のご婦人だった。動転しておろおろするばかりだったが、何とか立ち上がった姿を見てやっと声を発した。「だ、大丈夫ですか?ごめんなさい、見えなかったもので」
大した傷では無いが、打撲に擦過傷、そして捻挫を負った。しばらく出歩くのは控えなきゃぁと思っていると、「救急車呼ぶから、じっとしてて」そう言いながら、指が震えて携帯電話が掛けられない。
「あわてないで、頭は打ってないから大丈夫。擦り傷に貼る傷絆創膏だけ貰えるかな」
近くの美容院の店主だという。娘と二人でやっているという店に招き入れ、傷絆創膏を探して貼ると何度も詫びた。
「ごめんなさいね、私ってそそっかしいものだから娘にいつも怒られてるの。」
「いえいえ、私もきょろきょろしてたもので気付くのが遅れたんですよ。」
お茶を頂きしばらくそんな事を繰り返している内に、右足首を捻ったところが腫れ上がりひどく痛々しくなった。足を着くと痛みが走る。幸い三軒先が接骨院だったので、ご婦人とその娘さんの肩を借りて歩き、治療して貰った。松葉杖を接骨院で貸して貰い、社宅までどうして帰ろうかと思案していると、接骨院の先生が尋ねた。
「お宅はどちらですか?」
「国分寺です」
「その足で帰るのはちょっと大変だな」
「なあに、特に仕事が有る訳じゃ無し、時間さえ掛ければ大丈夫」
よせば良いのにやせ我慢だ。
長い距離なので、混む時間を避け、何回か電車でしばらく通ってようやく痛みも治まってきたようだ。
「ところで、こんな所で何してたの?」
先生が聞いた。
「建設会社を退職して、修繕や補修を仕事にと考えているんですが。腕だけで現場で出来る仕事なので、特に作業場などは要らない。このあたりなら年季の入った木造住宅が多いから、そんな仕事が成り立つんじゃないかと、事務をする当たり前のアパートか借家を探していたところなんです」
「崩れかけたあばらやならそこにあるが、住むのは現状では無理かも知れないな」
「なに、修繕はお手の物だ。口を利いてはくれないかね」
持ち主は美容院の経営者。とばっちりの相手だ。
解体して更地の駐車場にした所で、狭い土地に車がたくさん置けるわけでもないし、費用の回収にはしばらくかかる。
「どうだろう。
老朽家屋で役所からもいろいろ言われてる事だろうし、一年分の家賃を只にする代わりに、住めるように只で修繕するってのは。もちろん二年目からは家賃を払うってことで」
「只で修繕は良いけど、材料費だって馬鹿にならないでしょ」
「材料代もこっち持ちでかまわないよ」
それで決まった。大家にしてみればうまい話だ。あばらやが只で直って二年目からは家賃が入る。
「その代わりと言っちゃなんだが、修繕が気に入ったらせいぜい宣伝しておくれ」
一日じっくり調べると材料やらなにやら手配し、明日からかかると言った。翌日若い者が数名現場にはいると壁を崩し柱を露出させた。腐りを切り、水平を見ながら新たな材木が継がれる。緩みを締め、ねじれが直ると筋交いなどで補強し、床や壁が張られた。手配の妙だ。基本の工事は二日で終わり、内装を入れても1週間で完了した。
材料代もほとんどかかっていない。
昔面倒を見てその後独立した後輩たちから、端材を提供して貰ったからだ。世話になっちまったから当分はお礼奉公だ。そう言っていたのもつかの間。手際の良さが噂になって休む隙さえなくなってしまった。一人の手に余る物は後輩の店を紹介し、修繕主体に仕事を始めた。
美容院客の間で噂が効いたのは、言うまでもない。いつ崩れてもおかしくない店横のあばらやが、ちょっと見ないまに元通りになったのだから。
助っ人登場
元の職場で面倒を見た息子ぐらいの後輩が、仕事の方針で利益優先の若社長とことごとくぶつかる。古手の社員が口をきいて、元社員の所に応援出向と言う事で首は免れた。
「何でいきなりなんだ」
「何度も電話したさ。
だけど繋がったためしがない
来てみりゃ毎日遅くまでかけずり回ってるそうで、捉まりゃしない。
これは年寄りには酷な状況だと判断したのさ」
後輩の名は正直(まさなお)と言う。真っ直ぐなところが気に入って、目を掛けていた後輩だ。嬉しいのを押し隠し、手伝って貰う事にした。仕事ははかどり、定時に終えたり休日も出来た。
この頃から大家が何かと口実を付けて家に来るようになる。少し婚期の遅れている娘の婿にどうかと品定めをしているようだ。
「あんたたち、外食や弁当ばかりじゃ体に悪いよ。晩ご飯ぐらいは内で食べちゃどうだい?」
申し出ありがたく、それからは大屋宅で晩ご飯をいただく事になった。
大屋の作戦は功を奏し、娘と正直が恋仲になるのに時間はかからなかった。
「作戦成功か?」
「ばれてた?」
「見え見えじゃないか」
でも大屋の本当の狙いには、てっちゃんはまだ気付いていなかった。
大屋は三代前からここに住み、美容院を始めたのがこの大屋。若くして熱烈な恋をして結婚するも、浮気者の亭主に愛想を尽かし追い出す。亭主は異郷で亡くなり、その葬儀には娘を連れて参列。
「あの子が異性になかなか恋愛感情をいだけなかったのは、親のそんな関係を見ていたからかも知れないね。」
最初は怪我させた償い、次第に打ち解けると親しみが信頼と安らぎに変わる。
店子でも男っ気があれば心強いし、人も良さそうなので気の置けない茶飲み友達ぐらいにと考えていたのだが、やがてむすばれることになろうとは大屋もまさかそこまでは考えていなかった。
後片付け
昼間はてっちゃんに付き添うという大家さんに、奈津子の実家を使って貰った。退院後は二人して東京に帰り、三月ほど仕事の段取りを整え正直に指示していたが、三月に大屋にこう告げた。
「やり残した仕事を片付けに、半年か一年ほど向こうに行ってくる」
「何で急に出て行っちゃうのさ」
大家はきわめて機嫌が悪い。
「世話になった師匠が苦労して立て直した祭りを、崩されぬよう手を入れなきゃならない」
「そのままどこかに行っちゃうんだろう」
泣き暮らす大家
「必ず帰ってくるから」
と茶箪笥とちゃぶ台を作る。
娘が見かねて言う。
「ついて行ったら邪魔にもなるだろうけど、居所は知れてるんだから、いつでも遊びに行けばいいよ」
茶箪笥には夫婦湯呑みが鎮座していた。
悔い多き日々
てっちゃんは、奈津子の実家に住む事になった。
語り明かした時の事だ。
「俺たちが祭りをやっていたあの頃は、たちの悪いただ酒目当ての荒くれ者が幅をきかせていて、そんな無頼を気取る者たちの溜まり場だったよなぁ」
それを嫌って青年に入る物も無くなり、囃子が好きな物ぐらいしか残らなかった。そんな中で囃子方が比較的まともだったのは、囃子を教えていた親父が厳しかったからなんだろう。
そんな無頼どもが酔いしれての乱暴狼藉が祭りのたびに繰り返され、そのたびに町内の反発も高まる。反発が年々拡大していたところに流血のあの喧嘩騒ぎがおこった。通りかかった他所の町内の青年と些細な事から口論に成り、悪たれどもが梃子棒振りかざして殴りかかった。
「それをてっちゃんが止めようとして梃子棒が逸れ、看板をたたき落とした。その看板で俺の額が割れたんだ」
「血だらけで気丈に止めようとしているまあちゃんを見て、悪たれどもも戦意喪失しその場は治まったんだが」
「今度は常日頃から無頼どもを快く思わない人たちが騒ぎ出した。
区長だった親父が懸命に説得して回ったが、もう治まらなかった。
突きつけられたのが、無頼の追放と祭りの休止。断腸の思いでそれを飲んだ。
実際は無頼追放で人手が足りなくなって、休止せざるを得なかったんだがな。
これで途切れたら祭りは出来なくなる。親父はそう思っていたんだろう」
たしかに五年間の休止は致命的で、無頼はもちろんまともな青年達もあらかた出て行ってしまった。「腹立たしいのはお袋さんが亡くなっててっちゃんが出て行ったのを良い事に、悪たれどもはもめたのをてっちゃんの所為にしてたんだ」
「俺も祭り衰退の元凶の一つって事か」
「違うさ。あれは巻き添えと誤解だったじゃないか」
「そうは言っても、その誤解を解かないまま郷里を後にしたから、今の青年の足を引っ張っているには違いないな」
「その後、親父は気を取り直して子供達に囃子を教え、浅間大社への宮参りだけから始めた」
子供が囃子をやれば、親は山車に乗せてやりたいもの。子供なら酒飲んで暴れる事も無いから、反対する理由も無くなり、それでも機が熟するのにはあと五年かかった。
新生の青年団に新たな若い者が加わったけれど、つきまとうのは昔の悪たれどもの所行。
「再開した当初は、酒も飲めないまじめな青年長が寄付集めでさんざん嫌みを言われて、かなり落ち込んでいたよ」
中身がまるっきり変わったと言っても、十年、二十年前の悪行は容易には印象からぬぐい去れないって事のようで、囃子の子供が青年に育ちようやく何とか形が出来てきたところで、祭りに対する偏見もやっと解けたようだ。
「気になるのは、親父が死んでから悪たれの生き残りが最近出入りするようになって、言いたい放題で若い者をあおり立てている事だ。武勇伝ばかり吹き込むので、復興の苦労を知らぬ若者達は染まりかねないんだ」
「けん坊はどうなんだ?」
「あいつにはよく言い聞かせてあるからだいじょうぶだが、年寄りと喧嘩するわけにも行かず閉口しているらしい」
せっかくいい形になったのに無頼ごっこに憧れるようになったら、それじゃ逆戻りじゃ無いか。今の若いもんに祭りを重荷として残すわけには行かない。今回の帰郷は母親の法事だったが、祭りの事情を聞くと義憤に駆られた。恩ある師匠が苦労して立て直した祭りを、崩されてはならない。
健太は親父の古い笛を持っていた。彼にとってはじいちゃんの笛だ。その笛にはてっちゃんも見憶えがある。その祖父、つまり私の父親が名人と呼ばれる笛吹きで、てっちゃんは師事したもののデビューを待たず祭りを離れることとなった。その頃に見ていた師匠の笛なのだ。
「おまえは親父最後の弟子だ。あの後暴漢に刺され、左腕が効かなくなり笛はもう吹けなくなってしまった。おまえが笛吹きとして山車に乗るのを楽しみにしていたのに、あんなことでおまえが飛び出し、いつもいつもおまえのことを惜しんでいたぞ。教えることはすべて教えたといっていた。」
その笛を途絶えさせるところだったのか。
てっちゃんはこそくり仕事をしながら、若いもんの動きを観察した。
桜の頃
浅間大社境内の三月下旬から四月初めは、桜の季節だ。てっちゃんは東京から幸子さんを呼び案内して歩く。拝殿東の枝垂れ桜は信玄桜と呼ばれ、武田信玄が植えたと言われるものだが今は代替わりして二代目だそうだ。西鳥居から東鳥居までの間は桜の馬場と言い、五月の流鏑馬祭には流鏑馬が行われる場所だ。馬場の南北には桜が植えられ、四月初めには盛りを迎える。入学式には散り始めたこの桜の下を、母親と手を繋いで歩いたのを昨日の事のように憶えている。
夜は店に来て遅くまで昔話に興じ、さっちゃんと次には流鏑馬祭に会う事を約束し別れた。
この頃たけちゃんから持ち込まれたのは、亡くなった順ちゃんの実家の修繕だ。年寄り夫婦が暮らしていた建物は若い希美ちゃんが住むにはちょっと寒々としている。たけちゃんの所で働いてもらう事になったので、修繕費用はたけちゃんの立て替え。
ゆくゆくは養女に迎え後を継いで欲しいと思っているようで、希美さんへの入れ込みようが凄い。良い娘なのは充分判るが、先行き長い人生で誰と出会い結ばれるかは娘の自由だ。予定が崩れて後でがっかりする事がなければ良いがと心配だ。
「しかし、若い娘の一人暮らしも心配だろう。親子一家族で住むなら丁度良い家なんだが、一人ではちょっと広くて寂しかないか?」
「確かにそうだ。」
「結婚したらここに住むにしても、当分お前のとこに住み込んでもらって、転勤の多いサラリーマンにでも貸しちゃあどうかな。
そうすれば、修繕費の返済も早く済むし、何よりそれを口実に一緒に暮らせるだろう?」
たけちゃんは目を輝かせた。
「それがいい!」
風薫る五月
浅間大社の祭りで大きなものは、五月に行われる流鏑馬祭と十一月に行われる秋季例祭だ。どちらも浅間大社境内一杯に露天がひしめき、参拝客で賑わう。十一月の秋季例祭は氏子町内が祭り囃子も賑やかに山車屋台を繰り出して引き回すのだが、五月の流鏑馬祭は源頼朝以来の歴史ある浅間大社のお祭りだ。桜の馬場に柵が建てられ走路が作られて、二種類の流鏑馬がここで披露される。一つはこの神社で昔から伝えられてきた「古式流鏑馬」。もう一つは小笠原流流鏑馬斉藤道場一門が奉仕する「小笠原流流鏑馬」だ。
五月五日、拝殿での神事に引き続き馬場で古式流鏑馬が行われ、正午から市内練行で流鏑馬行列が市内を練り歩く。帰着して休憩の後、隊列を組んで馬場入り、拝殿で流鏑馬式が行われ、いよいよ神事流鏑馬が行われる。
楼門前の石段でてっちゃんとさっちゃん二人並んで見る。
その後露店を冷やかし、鯛焼きを買って来たので、昔の祭り風景をふと思い出した。西門通りにも昔は露店が並び、西門近くには瀬戸物を売る店があって、実家の向かいにも鯛焼き屋が出ていたっけ。
七月は山開き、富士山頂まで登るには相当の覚悟が要るから勧めはしないが、山開きの日に手筒花火が見られるからどうですかと誘っておいた。
別れ
奈津子はてっちゃんの入院中に幸子さんと親しくなったようだ。
てっちゃんの術後の恢復が順調だったので、買い物や息抜きで町を案内しながら幼なじみのてっちゃんの事、自分たち夫婦の事を話したらしい。
リーダー的な存在だったてっちゃんが、故郷を出た経緯や自分たちの結婚についてもだ。
「変わってないんだね」
あばら屋を修繕したときの手際の良さと、職人達からの人望の厚さで感じていた事が、話を聞いて実感されたようだ。
幸子さんが付添から帰ると、母親仕込みのやきそばを芙蓉亭の厨房で指南していたものだ。
「次は7月ね」
幸子さんがてっちゃんに会いに来るのが待ち遠しいと言って、手紙を書いていた。
「幸子さんに焼きそばの材料を送るんだ」
そう言って自転車で買い物に出かけた。
帰りが遅いと思っている所に事故の知らせが入り、病院に駆けつけたときには冷たい亡骸となっていた。
あまりにもあっけない別れだった。
まるで自分の寿命を知っていたかのように引き出しにメッセージが残されていたので、通夜と葬儀で参列者にかみさんのメッセージを読んだ。
主にかみさんの人生相談に乗った人たちへのメッセージだ。
「見届けることは出来なかったけれど、皆さんが悔いのない人生を歩んでいると確信しています
なぜなら、あなた自身が自分で探し掘り起こした答を実践したから
人の意見に従って失敗したなら後悔を一生引きずるもの
結果が最良でなかったとしても、自分で決めたことならけっして後悔しないで
私の助言が欲しくなったら思い出して
常に自分に問いなさい
そして自分で決めたなら迷わずに進みなさい
あなたが思う時、いつも私は側に居るよ
私が言うことはいつも同じ
答は自分の中にあるの」
荼毘に付すのは決別するためなのだろうか。
炉に収めて焼き上がるまで、場所を移して控え室で待つ。
場を変えることで先ほどまで涙していた家族の顔にも、笑みが戻り談笑するようにさえなる。そう広くもないこの斎場の二つの空間には生と死を、この世とあの世を分ける境界があるのだろうか。
ぽっかりと大きな穴が開いてしまった。
笛吹きを労え
笛を伝える
途絶えたんじゃないかと思われた笛吹きが、居たのは意外だった。
名前はもっちゃん。
会所の鍵開けから囃子の指導、祭りの準備から戸締まりまで毎日毎日やっている。
彼が囃子方を志した時、最初は皆きんどなのだが、教えてくれる人はたまにしか来ない。
なので壁に貼った唄を書いた紙を見て独習。
きんどをマスターした後、おおどがいない事が多いのでこれもほとんど独学でマスター。
当時笛吹きはいたけれど、練習に顔を出す事がほとんどなく、気が向けば祭り本番に顔を見せるぐらいで、笛のない事が半ば当たり前だった。
笛のない囃子は色のない下書きのようなもの。
笛吹きに入門を申し出て、最初の道囃子を教わっている途中で笛吹きが夜逃げ。
そこで、富士宮ばやし保存会で笛を吹き、講習会などで講師をしている人の門を叩いた。
時期になったら声をかけるからと快諾していただいたけれど、声がかかったのは祭り準備の最中で、子供らに囃子を教えているとき。
そのためにとうとう教えを受ける事が出来なかった。
知人から保存会披露の録音テープを入手し、手探りで音をたどり、やっと笛をマスターしたという努力家だ。
準備中の会所に、たまに来て長居をする者がいれば鍵を預かる彼は帰るに帰れない。
準備の終盤になると祭り気分の盛り上がりから、連日深夜まで語り合うことになる。
そのために、毎年寝不足から体調を崩して満足な状態で祭りを迎えたことはほとんど無かったので、へたくその汚名をなかなか返上出来なかった。
けん坊が言う。
「練習が始まった頃はきれいで勢いのある笛を吹いてるんだけど、本番では体調崩した後遺症で咳のために息が切れ切れ、本来の笛が吹けないんだ。
「誰も笛吹きの大事な事を判ってないのか。
確かにやった者でなきゃ、笛の大変さは判らないだろうが」
待てよ、けん坊はどうなんだ。
「けん坊は、笛はやるのか?」
「もっちゃんに教わろうとしたら、『自分のは我流で唄も指使いも正規の物じゃないから、教える事は出来ない』と言う。だから、こっそり後ろで見て真似してる」
「それならお前も笛吹きだ。そのもっちゃんの荷物を少しでも良い、背負ってやれ」
けん坊がうなずいた。
「でも、いい加減な笛じゃないよ。外で練習しているときに、保存会の笛の講師が通りかかり、笛を聞いてくれて。それで、『すっかり盗まれちゃったなぁ』って笑ってたって」
もっちゃんは、その時に笛玉の事を教えて貰ったそうだ。
「俺はけん坊のじいちゃんに教わったんだ。その笛をお前らに伝えておきたいんだが」
そう告げると、もっちゃんと健太が二人揃ってやってくるようになった。
「太鼓は緊張しても上がっていても、叩けば音がする。でも笛はそうは行かない。息が乱れれば音も乱れ、無理に息を使ったら酸欠を起こして中断してしまう」
「太鼓のリズムが乱れバラバラなときは、笛がリードしてまとめなきゃならない。リズムを揃えるために、踊るように自分で拍子を取りながらメリハリを効かす。」
「高音も一本調子では無く、強弱を付ける。長く伸ばすときは弱くなって消えるんじゃなく、弱く入って徐々に強める」
「唄の切れ目では、すぱっと切る」
「唇の荒れは大敵、節制して体調を整える」
「遠くまで笛の音を届かせるために、左肘は前に突き出し笛尻は上げる」
大掃除
誰かの犠牲の上に成り立つ祭りだったら、無くてもいい。
骨折るものを踏みにじるような祭りならなおのことだ。
でも代々守り伝えてきた祭りには特別な思い入れがあり、簡単に捨て去る事は出来ない。だから、祭りの先行きに障害となる物は、できるだけ取り除かねばなるまい。
先ずは年老いた荒くれだ。
祭り準備の会所に、差し入れの酒を持ってけん坊と出かけた。
いたいた。青年に注文ばかりつけ、慰労の場では酒が回ると良い気分で武勇伝を針の飛んだレコードのように、何度も何度も繰り返す。
頃合いを見て切り出した。
「で、誰が尻ぬぐいしたんだっけ?」
もめ事の後は、区の役員や祭りの責任者が後始末に追われた。
下げたくない頭を下げ、プライドもずたずた。
これがために、任期半ばで役職を投げ出した区長さえいる。
祭り実施には批判の声ばかりが強まり、やがて無頼の追放が行われ、祭りも何年か休止せざるを得なかった。
「それが全部お前の所為だと、そこまで言わなきゃ充分じゃないだろう」
荒くれは言葉もなく、うなだれて立ち去った。
再起
私は家内が亡くなってから、なかなか立ち直れないで居る。店は一月閉めたままで、再開のめどは立たない。思い出の場所をさ迷いながら、心の中で奈津子に話しかける。あいつならこんな返事を返すだろうなどと思いながら、それを繰り返している。一日東京をさまよい歩いたものの、癒されるどころか寂しさが募るばかりだ。翌日なかば後悔しながら帰途についた。
兆し
身延線下り電車も富士では満席だったものが、富士宮を過ぎるとガラ空きとなった。西富士宮で降りずに乗り越したのは、もたれて眠る若い女性に亡き妻の面影を見たからだ。声をかけて降りればいい。それだけのことだがそれでは惜しい気がした。「そうだな。下部まで言ってみるか。」所帯を持った時、二人で初めて旅行したのが下部だった。日帰りでどこかに出かける事はあっても旅行の思い出は他にはなく、唯一の思い出の地だ。
「すみません。次で降りますので。」
声をかけると娘さんはようやく目を覚ましたが、眠っていた事に気付くと頬を赤らめた。
「あ、次は何処でしょうか?」
「下部です。」
「よかった。乗り過ごす所だったわ。」
駅に降り立ったのは数名、それぞれ宿の迎えに導かれて行った。乗り越し料金を精算し、温泉街を川に沿って歩いてみる。多少改築された宿も見えるが、ひなびた雰囲気は昔と変わらない。足を止めたのは古びた旅館前。名前までは憶えていなかったが、昔泊まったのはたしかにこの宿だ。ここに泊まる。夕食まで時間があったので浴衣掛けで付近を散策した。
宿に戻ると、ロビーのソファーに腰掛け、ぼんやりと暮れゆく外を眺めていた。
「電車では済みませんでした」
振り返るとあの娘が立っている。
「あ、いやいや気にせずに」
娘は軽く会釈して隣のソファーに腰を下ろした。
「友達と来るつもりだったんですけど、ドタキャンされちゃって」
「彼氏ですかな?」
「友情より彼氏の方が大事だって」
「若い方ならそれもしょうがないかな。
そうそう、あてて見せましょうか?」
「え、何を?」
「傷心旅行と見た」
「なんで判るの?」
「若い時いろんな占いに凝ったものだが、極意は直感だと悟ったわけ」
「直感なの?」
「易にも凝ったけれど、卦を立てているうちに出る卦が先に判ってしまうようになった。
で、この卦は誰が与えているのかって考えた時、自分自身の潜在意識だって思い至った。
それで考えたんだ。
精神的にも未熟で人生経験も乏しいまま占いを続けても、的確な助言など出来ないのでははないかってね。それで占いは封印した」
「それって若いときのことでしょ。今だったら的確なアドバイスも与えられるんじゃない?」
「そうかも知れない」
「私を占ってくれない?」
「占うまでもないよ。あなたの持つ明るさは、もうそんなものは乗り越えている。これからどの道を選ぶかはあなた次第だ」
「ふうーん」
今度はしげしげと私を見て、
「おじさんも傷心旅行ね」
「お、」
「図星ね」
「あんたの直感も大したもんだ」
「でも、もう大丈夫って顔に書いてあるわ」
話している内にがたがたに緩んでいたネジが締まった。どうやら店を再開できるかな。
再開したスナックには、待ちかねた馴染みの客が押し寄せた。と言っても数は知れている。私一人で丁度良いくらいだ。四方山話の中で、触れないつもりでもついつい亡くなったかみさんの話になる事がある。客も気がつくと話題をそらせていたけれど、笑って話せるようになるにははまだ時間が必要で、ようやく気兼ねなく話が出来るようになったのはもう一月ほど後のことだった。
回想
遠慮がちなてっちゃんに言った。
「いちいち気にしなくてもいいさ、もう大丈夫だ。」
かみさんとてっちゃんも幼なじみ。思い出話にはいやでもかみさんが顔を出してしまうから、これでは話の種が無い。
「そうか」
笑いながらてっちゃんが話し出した。
「おまえが血相変えて俺を追いかけたこと、憶えてるか?」
「おまえが法事で帰ったときだったな」
「あの時のおまえはなんだか恐ろしかったぞ」
「そうかもな」
「鬼みたいな顔をして追いかけてくるから、こっちも必死で逃げ回った」
「なっちゃんに会ってくれーってね」
「だから逃げ回りながら、なっちゃんちに行ったんだ」
「やっぱり、行ったんだ」
「すぐおまえが来たけど、隠れてた」
「いないと思って、また飛び出したんだ」
「その後なっちゃんと話したんだ
おまえがなっちゃんと話せって追いかけ回してるって」
てっちゃんが母親の七回忌の法事で久しぶりに帰省してみると、笛の師匠だった親父も何年か前に亡くなっていた。墓に参った時お袋に会って笛を習いに訪れていた頃の話になり、てっちゃんが良い笛吹きになるって楽しみにしていたと告げた。
「申し訳なさに墓前に深々と頭を下げたよ。
あんな大喧嘩にさえならなければ、憧れつづけた笛吹きになっていて、ふるさとを離れることもなかったろうに。」
「その後だ、お袋から話を聞いて必死で追いかけたのは。」
「逃げ回ったあげくに飛び込んだなっちゃんの店は、お袋さんは買い出しで留守だったが、久しぶりに会ったなっちゃんはずいぶん綺麗になっていて、話を聞くと笑って言った。
『何勘違いしてるんだろうね。
てっちゃんは確かに小さい時からの憧れだけど、所帯を持ちたいと思ってるのはまーちゃんなのに。』
正直うらやましかった。
『あいつに伝えようか?』
と言ったら
『大丈夫、自分で言うわ』
と言うから
『次に来る時には子供が居るかな』
と聞いたら
『そうね』
と答えた。
そのまま電車に乗ったんだ」
「その夜の事だ。のれんを仕舞ってからあいつは切り出したよ。
『てっちゃんに会ったよ。久しぶりに話したけど変わってなかった。でも憧れは所詮憧れね。息が詰まるもの。所帯を持つのなら、やっぱり空気みたいな人が良い』
そう言うと、前に座り居住まいを正して話し出した。
『いつもいつも守ってくれてありがとう。本当に感謝しています。こんな私で良かったら、あたしを、』
『ま、待て!俺に言わせてくれ』
かしこまって、声を絞り出した。
『嫁になってくれ』」
「何年待たせたことになる?」
てっちゃんが訊いた。
「あの騒ぎの後、おまえのお袋さんが亡くなっておまえが東京に出て行っただろう。
多分そこからだから、七回忌でまるまる六年か。」
「六年もか、もったいない。」
六年早かったら子供だって授かったかも知れないな。
結局子供をあきらめ、実家を次いだ弟の次男坊に後を託す事にした。養子のような物だが同居でも別居でもなく、あるいはどちらでもあるようなゆるい関係。家が二つあるような物で気ままに行き来をし、どちらにも要領よく甘えている。
「でも、追いかけっこも無駄じゃなかったんだ。」
横から香代が言った。
下部で知り合った娘、名は香代という。あの後、浅間大社に参詣すると言って富士宮を歩き回り、気に入ったからとアルバイトを見つけてきた。
「で、住むとこないんだけど、居候させてくれない?」
「おいおい、仮にも男の一人暮らしに居候はないだろう」
しかし、奈津子の実家はてっちゃんに貸してある。
知り合いにもアパートや下宿屋は居ない。
幸い店は鍵もかかる。物置に使っていた店奥の四畳半をとりあえず空けた。
自分の住まいは一階だから、まあ間違いも起こるまい。
「給料貰ったら、ちゃんとした所探すんだぞ。」
それから共同生活が始まった。居候だから家賃もない。代わりに少しぐらいはと言う事で、仕事から帰ると洗い物と片づけを手伝うようになる。するとなんだか若い客が増えてきた。
出しゃばるわけでは無く奥にいるのだが、
「いらっしゃいませ」
の声が小気味よい。
予感
ある日の事、甥っ子のけん坊が血相変えてやって来た。
「おじさんどういうつもりなんだい!」
連れあいを亡くして一月半、まだ喪も明けないうちに若い娘を連れ込んだともっぱらの噂らしい。人は口さがない者、言わせておけばいい。しかし、そんなに伯父が信用できないか?
「馬鹿もん。俺がそんな事すると思うか」
一喝した。
「一応紹介しておく。香代ちゃんだ。」
仕事から帰り、窓際で猫を撫でていた娘が立ち上がって会釈をした。
「今は居候ですが、アパートが見つかったら引っ越します。」
けん坊は不意をつかれ、赤面しながら言った。
「いえいえ、あ、焦らなくていいですよ。どうぞごゆっくり」
あたふたと逃げるように去った。
その晩からけん坊は店に皆勤賞。なんだか昔見たような光景だ。
香代のおかげで新規の若い客が増え、一人ではどうにも手が回らなくなった。聞けば香代は以前喫茶店で働いていたというので、正式に働いて貰う事になった。
店を閉めて洗い物をするときには、少し話をする。生まれは関東の田舎町、母が早くに他界し父も数年前に亡くなった。身よりは兄が一人居て、農業を継いでいる。兄を尻に敷く兄嫁とは折り合いが悪く、実家にも帰る事はほとんどない。しっかりしているのは、その所為か。
「ホットケーキやオムレツは得意なんですよ。」
店のメニューも増えた。一方けん坊は酔客から香代をガードしているようにも見える。なっちゃんに虫がつかぬよう、毎晩通っていた自分の姿が重なる。焦るなよ。焦って追いかけると逃げられるぞ。内心そう思いながら、若い日の自分を見る想いで、てっちゃんと二人で見守る事にした。
一人じゃない
店の客で他所の町内で祭りをやっていた人が話した事
かつて青年長だった時にこんな夢を見た。
祭り初日の朝の事だ、遠くでは気の早い町内が、引き回しの始まる前からお囃子を始めている。会所の前にさしかかると、なんだか様子がおかしい。一切の飾り付けは無く、山車さえも無い。集まってきた人たちが騒ぎ始める。
「準備はどうなっているんだ」
「青年は何をやっている」
「青年長は誰だ」
愕然とする。青年長は自分だ。
いまさらどうしようも無い状況に、頭を抱えてしゃがみ込み、ごめんなさい、ごめんなさいと叫び続けた。
気付くとまだ明けやらぬ暗い部屋。冷や汗をびっしょりとかいている。カレンダーで九月である事を確かめ、まだ充分日があるので胸をなで下ろした。
「追い詰められてたんだろうね、きっと」
我が町内も同じだ。当日になれば長い経験のある後見方が参加し、引き回しは滞りなく行われる。しかし、準備や片付けは現役の仕事だ。数少ない現役青年だけでは、役割を分担出来る態勢は取れない。
この人も覚悟を決め、家業を犠牲にして準備に当たったそうだ。
どちらもずいぶん悲惨な状況に見えるけれど、先輩全部が黙って見ていた訳ではない。心ある人はいるもので、影ながら障害となるものを取り除いてくれていたのだ。
てっちゃんが悪たれをやっつけた後も、実はちゃんとフォローしていた。
後を追い飲み屋に誘って、酒を飲みながら遅くまで話した。
「どう思った? 祭りが出来なかったとき」
「そりゃぁ、つまらなかったさ。」
「俺もそうさ、憧れの笛吹きにやっとなれたと思ったら、あの騒ぎで日の目を見ないまま終わっちまった」
「ほんとに、悪かったな」
「だけど、一番辛かったのは師匠だろう?」
「ああ」
「祭りを再開するために、子供達に囃子を教える事から始め、何年も掛けてやっと再開したんだからな」
酒を注ぐ。
「この祭りに対して、俺に出来る事って何かと考えたんだ」
「なんでだ?」
「師匠が何のために、只で囃子を教えてくれたと思う? 月謝を取る訳でもなく」
一息置いて続けた。
「祭りを将来に伝え、残して行くためだと思うんだ。だから俺は、師匠に教わった笛を若い者に伝えるし、中断のきっかけになった争いの芽を摘もうと思ってる」
しばし沈黙
「対抗意識が高じ、むきになってしまったんだ。舐められたくないと思った。いまさら取り返しはつかないが」
「なぁ、罪滅ぼしに出来る事だってあるんだぜ」
祭り
祭り準備が進む。
けん坊が率先してもっちゃんの仕事を手伝い、若い者も引っ張られて分担するようになり、もっちゃんは久しぶりに体調を損ねる事もなく準備を完了した。
そして祭りが来た。
山車は会所に置き、先ずは浅間大社に参集し宮参りが行われる。会所から浅間大社まで、青年が囃子太鼓を担ぎ、子供らが囃しながら進む。山車を下りて歩きながら囃す囃しが「道囃子」と総称され、「籠丸」や「通り囃子」などが囃される。
浅間大社に実施全区が参集し式典が行われ、奉納囃子が一斉に囃された後、御幣を受領して。会所に戻る。
囃子が始まる。
するすると引き綱が伸ばされ、音を立てて山車が動き出す。
てっちゃんは山車については歩かぬが、少し離れたところで音を追って聴いていた。けん坊の笛はまだ荒い。若さゆえの力任せだ。もっちゃんの笛は緩急と締まりを意識している。あとは笛玉か。
そして中日。笛玉を聴いたような気がした。慌てて山車に駆けつけると二人一緒に笛を吹いていた。
「二丁笛か」
ちょっと似ては聞こえるが、笛玉は「断続」で二丁笛は「うなり」だ。それでもけん坊の初日の力任せの笛は少し力も抜けて今日は良い感じに吹けている。てっちゃんの姿をけん坊が見つけ、笛を吹きながら会釈した。てっちゃんは笛を吹く仕草で、左肘を張れ、笛尻は下げるなと伝えると、手を振ってどこかへ去った。
左肘は張れ、笛じりはさげるな。それは遠音を利かすための師匠の教えだった。
白尾山から
息をきらせ、てっちゃんが白尾山グラウンド脇の四阿(あずまや)にやって来た。
「おお、てっちゃん。どうしたんだ?息を切らして。」
「なに、ここまで囃子が聞こえるかと思ってな。香代ちゃんも一緒かい。年寄りのお守りご苦労さん。」
「何が年寄りだ」
自分じゃ言うが、人からは言われたくない。
「聞こえるさ。聞いた話では、囃子の音は山向こうの柚野まで聞こえるそうだぞ。」
「で、聞こえたかい?」
「俺も来たばかりだし、近場の雑音がちょっとばかし邪魔だな。時々は聞こえるんだが。」
私がここに来たのは、かみさんの希望を叶えるためだ。事故ゆえ遺言らしいものも残ってはいなかったが、共にラブレターを綴ったノートにはこう書いてあった。
「私が先に死んだなら、
見晴らしの良い丘の上から、町に向かって吹く風に私を放って。
この空を自由に飛びたいから」
かみさんは何年か前、小さなノートを二冊買ってきた。
「これにはラブレターを書くの。今の気持ちが変わらなければそのままでいい。何か変わったら、後に続けて書くの。いつかお別れがきたときに、もう話せなくなった思いをノートに託して。残った者がそれを読んで、亡骸と一緒に燃やすの。二冊ともだよ。
思いを込めて送ったらきっぱりと切り替えて新しい人生を送る。
そのために燃やすんだから」
棺に入れた二冊のノート。一冊は私が書いた感謝の言葉だ。かみさんの言葉は取っておきたかったけれど、燃やすのが約束だ。何度も何度も繰り返し読んでその言葉、その字形まで記憶し、燃やした。
死期を予感していたのか新しいインクの跡だった。
「私が先に死んだなら、出来ることなら灰も残らぬように燃やして欲しい。
でも無理だったら、どこまでも風に乗って飛んでいけるよう細かな細かな灰にして。
お墓には入れず、土に撒いて。
私を思い出す人が来る限り私はそこで応えたい。
花壇の土に撒いて好きだった花の苗を植えて。
私は好きだった花に生まれ変わるから。
川面に放って。
川を下り海に出て海流に乗り世界をめぐる。
残った灰を町の見える丘の上から風に放って。
ふるさとの空を飛びたいから。
私を知る人がいなくなれば、それが私の消える時。
実体がなくなっても、思い出す人が居る限り私はまだそこに居る。
あなたが思う時、私は必ず側に居るよ。」
てっちゃんは師匠である親父の言葉を思い出し、笛の音を聞きに来た。
遠くで聴く祭り囃子は郷愁をつのらせるもの。
胸に響くそんな笛が一つでも聞ければこの祭りもまんざら捨てたものじゃない。
多少なりとも師匠の笛を伝える事ができたなら一つの区切りにしたかったのだろう。
囃子の音も聞こえるが、多くの山車が曳き回されるので混じり合い、車の音や工場の音に紛れては笛の音を聞き取るまでは出来ない。
「だめかな。」
てっちゃんが少し気落ちした時、声をかけた。
「てっちゃん、見届けてくれ。」
ポケットから小瓶を取り出し、
「良い風が吹いてきた。」
そう言って、遺灰の小瓶を持ち上げ下に差し出した左手にこぼすと、掌に届く事無く風が全てを持ち去った。
暮れかかる空に舞い上がった遺灰は、風に乗り街の上空に消えた。
遠くまで届くようにと遺骨を砕き小さく小さく擂りつぶした。
風に舞い上がった遺灰はやがて落ち故郷の土になる。
雨に流されれば川を下りやがて大海を旅する。それも良い。
やがて風向きが変わり、祭りの喧噪が大きくここまで届いた。
あいつが運んでくれたのかな。
遠く聴く祭り囃子
祭りの最終日、てっちゃんはまた白尾山にいた。
祭りの最終日の夕刻には、祭り実施区は御幣を浅間大社に返納する。
その帰りに祭典本部で囃子を披露するのがうちの町内の恒例行事だと聞いたからだ。
昨日中日の喧噪では囃子を聞き取るのは無理ってもの。
ほとんどの引き回しが終えたこの夕刻、祭りの終わりを惜しんで町内一つずつが交代で囃すというその囃子を聴くためだ。両手で両耳を囲い、耳を澄ました。
「ちがうな。」
なかなか熟練し小洒落たこの囃子は、残念ながら他所の町内だ。
次に登場したのが、この祭りで聞き慣れたうちの町内だ。祭りの間ずっと囃し続けて、終わる頃が一番完成されたものになる。笛も祭り期間ずっと吹き通すと、息がそのまま歌になると言う境地。最後の最後が最高の囃子になると言うのも、なんだか皮肉なものだ。
笛が伸びやかだ。
高音も一本調子では無く、弱めに入ったものが終盤では最強となり音がすぱっと切られる。
強弱、緩急、メリハリが効いた良い笛だと思っていると、いつもは力任せのおおどが笛に引きずられ笛の聴かせどころでは抑えて叩いている。
笛も気持ちよく吹けているらしく、余力が無ければなかなか入らない笛玉を入れた。
にくずしの一回りを通常の笛で吹き、一回りを玉入れで吹き、屋台も二の玉以降を玉入れで吹いた。
よほど心地よかったものか、通常なら終わるところをにくずしに戻したのは、この囃子を終わりがたかったのだろう。
自分にも憶えがある。笛を教わる以前はおおどをやっていた。
囃子の顔ぶれはいつも変わらなかったが、息がぴたりと合い一つになったあの日の囃子は忘れられない。
「おまえら、最高じゃ無いか。」
てっちゃんはそう言うと満足そうに笑みを浮かべた。自分では全う出来なかった囃子だが、師匠の笛を後進に繋げる事が何とか出来たようだ。
師匠が言っていた言葉を思い出す。
「遠くで聴く祭り囃子が最高なんだ。」
聴く者の胸に郷愁を募らせ、思わず涙させる事が来たなら、囃子方としてもう思い残す事は無い。
帰京
てっちゃんが、晴れ晴れとした顔で店にやって来た。
「明日、向こうに帰る」
「片付いたみたいだな」
「ああ」
祭りはそれ自体が生き物で、どう育って行くかは判らない。取り敢えず悪い影響を与える芽を摘んで、途切れた伝承を繋ぎ直した。
人の良いリーダーに甘えっぱなしの若者達には、働かざる者喰うべからずを教え、リーダーと期待する笛吹きの二人には、嬉々として仕事を楽しんで見せるよう教えた。
当面の不安は払拭出来た。
「てっちゃん、悪いが頼まれちゃあくれないか」
「なんだい?」
「幸子さんに土産を用意するので、お願いしたい」
「判った。出るのは午後だから、昼過ぎに寄るよ」
翌日立ち寄ると思ったより荷物が大きい。
「悪いな、生ものと菓子なんでちょっと大きくなっちまった。」
「判った。それから、借りてた家は今月中に再訪して引き払うから、その時幸子も連れてくるよ。」
久しぶりの我が家だ。
「大きな荷物だね、引っ越し荷物かい?」
「いや、もらったお土産だ。生ものだって言ってたが、中は知らん。」
「お風呂湧いてるから汗を流して。」
そう言って荷物を広げ始めた。
風呂に入っているとき、歓声や鼻歌などなんだか賑やかだった。
「晩ご飯出来てるよ。」
風呂から出ると、懐かしい薫りがした。
それにしてもなんでこの匂いが……。
「驚いた?
奈津子さんに習ったんだよ。」
なっちゃんには、一度幸子の買い物の案内を頼んだ事がある。
それだけだと思ったら、二人は意気投合して何度か会っていたらしい。富士宮っ子のソウルフード焼きそばは、慣れ親しんだ店の味が一番だ。奈津子の母から受け継がれた匂いと味が、今ここに有る。
そんなに親しいと知っていたら葬儀に同行したものだが、知らなかったとは言え残念だ。
「実は・・・」
重い口を開き、奈津子の死を告げる。
「嘘でしょ、それならこの手紙は?」
女文字で書かれた手紙は紛れもなく奈津子のもの。生前に幸子宛に書かれたものだ。
「一度とんぼ返りで喪服を取りに来た事があっただろ。あの時がそうだったんだ。」
土産の和菓子に、一通の手紙が挟んであった。
経緯を伝えるために私が書いたものだ。
「悲しいお知らせをしなければなりません。奈津子の事です。
自転車で買い物の途中、飛び出した子犬を避けようとして転倒し、頭を打って亡くなりました。
急な事で信じられず、葬儀を終えても何も手に着かず、思い出の場所をさまよい歩きました。
今では落ち着き、店は何とか再開したけれど、吹っ切れたのは奈津子の希望通りに最後の遺灰を風に放ったときです。
幸子さんへの書きかけの手紙を見つけたので、てっちゃんに託します。
店で家内と幸子さんの二人が、焼きそばの練習を繰り返していたのを思い出し、材料を揃えました。
てっちゃんに作って上げて下さい。
アパートの片付けには一緒に来られると聞きました。
富士宮はようやく富士山の雪も定着したので、お見えになる月末には澄んだ空にきれいな雪化粧が見られるでしょう」
ほどなく、てっちゃんと幸子さんが入籍したとの報せが届いた。
「へんぽらい」
祭りも終わり落ち着いた頃、かみさんに先立たれた私を気遣って、常連や同級生などが定期的に集う事になった。店の休みの日に、それぞれ飲み物やつまみを持ち寄って昔話に花を咲かせるのだ。
始まりは、下戸のたかちゃんがこうちゃんに声をかけた事。
「貰ったのがどうやら良い酒みたいなんだが、家に置いとくと煮物に使われちまう。声かけて集まり、皆で一杯やらないか。」
それでうちの休みの日に、店に集まる事になった。最初は思い出話、子供時代のいたずらや冒険、
まあちゃんは言う。
「東海道を外れているので新聞社の支局がなく、富士宮市がニュースになりにくい。そんな事もあって、全国的にはまだまだ祭りが知られていない。だから個人で、発信して行く。祭りの記録記憶の収集調査サイト、ブログ、SNSで発信して行く。」
話が盛り上がると遅くなる事が多い。気の利かない男どもにこうちゃんのかみさんが言った。
「あんたらが長居をしたら、香代ちゃんが迷惑するだろ。ちょっとは考えな。」
確かに店奥の小部屋が香代の部屋だ。早い時間には手伝ってくれるけれど、飲み物を控えるのはそんな訳もあったのか。
「だれか空いてる部屋無いか?」
冗談めいて誰かが言う。
「あり得ない事だけど、こいつが間違い起こすかも知れないし。」
「それは無い!」
皆で否定。
よく判ってる。
少し古いが、奈津子の実家を修繕してそちらに移って貰った。
香代の代わりに健太が顔を出すようになる。最初は嫌々だったが、だんだん興味を示し、自分でも記録を付けるようになった。
時々香代が顔を出すが、年寄りの話が面白いと言って健太の隣で笑いながら聞いている。
遅くなるときには健太に送らせるのだが、すぐに帰ってきてしまうのがちょっと気に入らない。
たけちゃんが気を利かせて香代に映画の只券を持ってきた。
「期限が近いから、来週の休みにでも誰か誘って行ってきたら。」
次週には期待して皆が集まるも、健太は声がかからなかったものか、年寄りの昔話を聞いている。
「香代ちゃんにも、好みはあるか。」
一同ちょっとがっかり。
鉾立石損壊
かなり昔の事だが、町内に住む神主さんが区長に怒鳴り込んだ話を聞いた。
「鉾立石が割れたのはお宅の青年が持ち上げて落としたからだ。これを元に戻せ。」
昔からの町内の青年の柄の悪さは、身を以て経験している。
区長は若い時笛吹きだったけれど、笛を無視してのやりたい放題に、何度堪忍袋の緒が切れた事か。代は変わってもうちの悪たれどもなら確かにやりそうな事だ、とは言え決めつけての無理難題を突きつけられるにはへんぽらいの血が騒ぎ、黙っては居られなかった。
「割れたのを元に戻す事は無理ってもの。出来るなら貴方がやって下さい。」
と言って火に油を注ぎ、神主さんに激昂された。
結局、割れた鉾立石は鉄棒を芯に通してセメントで張り合わされた。
「へんぽらいだねぇ、だけど我々だって相当な変わり者だぜ。」
「それぞれが富士宮の事や富士宮の祭りの事を発信するときには、へんぽらいを名乗るってのはどうだ?」
全員の賛同を得て、決定。
写真のデータ化と整理保存は弟に頼んだ。
サイト掲載は、富士宮市でインターネットの草分けと言われるまあちゃん
ブログは一つのアカウントを使い、持ち回りで書く。
フェイスブック、ツイッターなどもだ。
まあちゃんは祭り紹介サイトを立ち上げて富士宮の祭りを、目立つページで大きく紹介。
祭りの歴史調べ
写真があっても何も書いてない場合には判断がつかない。何の写真なのか、どのような状況で撮られたのか。
十字街を、宮参りの一行が曲がって行くところが撮られていた。二三見知った顔はあるものの、精確な撮影年は判らない。よく見たら画面内の映画看板に昭和三十二年文部省推薦映画と書いてある。この年の祭りの事が、翌年に分離独立した二の宮区の区誌に書かれていた。当番区の一つとして盛大に行った祭りだったそうだ。昭和十七年に市制施行し、それから十五年目の大祭りなので当番町の宮参りの隊列がわざわざ十字街を通ったと言う事らしい。隊列の中に数名の芸者衆が三味線で参加している。
この様に新聞記事や区誌、写真などから関連事項を拾い出すのは、幸い町内にある図書館に資料があって都合が良かった。
改めて我が区誌を読むと、その編集の大変さを実感する。まめに聞き歩かなければ出来ない仕事だ。編集委員長の元新聞記者としての経験が結実したもの。この記録を基にして、孫子の代に、もっと完成度の高い区誌を作って欲しいという編集委員長の言葉が重い。
「神社に記録があるんじゃない?」
確かにそう思う。
神社に問い合わせると、神事に関する記録はあるものの、氏子町内が行う”つけ祭り”に関するものは残っていないとの事。
一方町方の記録では、江戸時代の造り酒屋主人の日記「袖日記」に「ダシ」とか「家臺」などの記述が残っていて、それがどうやら一番古いものらしい。
各町内ごとの伝承を拾うには、それぞれの町内に伝手を作る事。新たに得られた資料や伝承をを発信する事で、祭りの歴史に対する興味を高め、また新しい事実を発掘する。新たな提供者があれば、定例会に来て貰い詳しく話を聞く。
外聞をはばかるような話もあってそれは記録には載せられないけれど、しっかり保存はしてある。
たとえば、鉾立石を割った犯人は他の町内の青年だったと判明したけれど、濡れ衣だった事は書いても、やった町名は表に出さないと言った具合。
もっちゃんみたいに、なんでも背負い込んでしまっていた奴はこう言った。
「準備に落ちが無いようにと、全部目を配ってやっていたつもりだったけど、役を降りフリーになって祭りをみたら、あちこち足りない事ばかりだった。祭りの事は全部判っているつもりだったけれど、いつも山車と一緒なら、会所でどんな苦労があるのかまでは判らない。それを黙ってカバーしてくれていたのが、ある先輩だった。手の足りないところを見つけると、それとなく補助にまわり。経験者ゆえの見事な手際で、うまく裁いてくれている。先輩風を吹かす事もなくね。
それが判ってからは、今度はその役回りを心がけているよ。」
「まあちゃんがホームページ始めたのは、かなり早かったんじゃ無いか?」
「ああ、当時富士宮市で検索しても、三つしか見つからなかったから、早いほうだろうね。」
熱心に囃子を覚え将来祭りを背負ってくれると思っていた子供達が、就学で地元を離れ就職で異郷に根付いてしまう。それが何より残念で、少しでも里心を起こす事が出来たらと始めた事だった。
「話を記録したのはいつ頃からだい?」
酔っ払いの思い出話や武勇伝は、面白可笑しく脚色されて、聞く度に内容が違う。それらをその都度書き留めて、本筋を探ろうと思ったから。
女子囃子方山車に乗る
まあちゃんもかなり苦労したようだ。
やめたいと思った事は何度もあり、犠牲的精神でなんとか続けては居るけれど、楽しくなければ続けられない。押しつけられ、やらされている祭りと感じたら早晩行き詰まる。青年長を下りたら、全て手を引こうと思っていたほどだったが、思いとどまったのは祭りの着物を着せて貰った小さな女の子が本当に嬉しそうに踊りの所作を真似て見せたときだった。
祭りは本来楽しいもの。子供達の楽しそうな顔を見れば、それがわかる。この笑顔のためなら頑張れる。
でも現役青年は底をつき、募集に町内を廻れば居留守を使われる有様。あの頃はどん詰まりだったね。だから勝負したんだ山車に女子を乗せたのも、もめるのを覚悟でやったこと。
昔からの祭りを知る大老に許可を得た時、念を押された。
「本当にやるのか?」
「はい」
大老も不本意ではあるけれど、決意を見て取ったのだろう。了承してくれた。そして決行。直来を終えお開きとなり、無事にこのまま終わるかと思われた祭りだが、最後の最後で梃子棒が振り回される結果に。
他所の町内に馬鹿にされたのが悔しいと涙を流して訴える後見に大老は、
「それなら言った奴を連れてこい。
女を乗せて悪い訳は無い。
俺がそいつを説き伏せる」
その時俺が思ったのは、地元の祭りを馬鹿にされたからというのは違うだろうと言う事。本当に地元の祭りを大事にしてきたのなら、青年の募集に歩けば全て断られたり、踊りで参加する女子が出なくなるような事も無かっただろうさ。
これは、祭りの楽しみを取り戻し、祭りを消滅させないための大きな賭けだったんだ。
翌年から、女子が山車に乗る事に反対は無くなった。
閉店
祭りの魔法
健太と加奈子が結婚するという。願っていた事なので異論は無いが、こいつらいつの間に……。どうやら冷やかされるのが嫌で、年寄りどもには隠して付き合っていたらしい。
あの時の映画の券も、実は店のお客さんに上げて、二人は朝から遊園地で遊んできたという。
もう四年か。加奈子ももうすぐ三十路、婚期を逃すと自分たちみたいに子供だって出来にくくなるかも知れぬ。奈津子が死んだときに、一度は閉めようと思った店だ。思い直して続けてこれたのも香奈と出会ったから。でも店を若い二人の重荷にはしたくない。閉めるには、丁度良い頃合いだろう。
加奈子に一つだけ聞いた。
「祭りの魔法って知ってるかい?」
祭りというハレの日には、子供は目を輝かせ、男は何倍もかっこよく、女は何倍も美しく見え、それにだまされる事がけっこうある。
「知っているけど、四年も見ていれば情けないところもたくさん見てますから大丈夫ですよ」
遺す言葉
店を閉めてからも定例会は続き、健太と加奈子も時々顔を見せていたが、子供が生まれてから加奈子はぱったりと来なくなった。
久しぶりに参加したてっちゃんが訊いた。
「俺の場合はあの騒動でやむなく東京に出たんだが、皆はどうやって祭りから抜けたんだ?」
「俺はあの騒動で追放されなかった側だけど、祭りに対する反発が強くて実質祭りが出来なくなり、親父が子供に囃子を教えるのを手伝ってた。子供達が若い衆になっても、自立するまでは陰で手伝ってたな」
仲間の一人が亡くなり、自分でも余命を考えるようになり、そいつが言っていた事を思い出す。
「何役も背負い込み、俺が抜けたら大きな穴があいたようで祭りが出来ないだろうと思っていた。ところがそんな穴は代わりに誰かが塞ぎ、何事も無かったかのように祭りは行われて行くんじゃないかと不安になった。
お前の仕事なんかたいしたことじゃ無いと言うようにな。そう思うと抜けられなかった。でもそれでは後進も育たない。毎年少しずつ仕事を減らし、気がついたら居なくなっていたと言うように、少しずつ距離を置き知らぬ間に抜けようと思ったんだ。」
実務を退いた年寄りだ。影響は少なかろうと思ったのだが、何時でも相談出来た人が居なくなると、居なくなった年の祭りは意外と大変だったようだ。
そうそう、改心した悪たれも参加するようになっていたんだ。
「追放された事で祭との関わりは切れたのだが、このままでは大きな借りが残ると思い立ち、かつて張り合った相手を訪ね歩いた。歳月は人を丸くするものだな。相手も快く和解に応じてくれた。昔話に興じ、何で揉めたかを思い出せばほんとうに些細な事。
でも代償が大きかった。尻ぬぐいは誰がしたかと言えば、当時の役員や年寄りだ。
申し訳ないとは思うけれど、なにか償ったかと問われれば償えていない。
償うべき人は亡くなってしまったので。
でも、親の恩も同じ事で、返す前に親が亡くなるんだ。
大きな借りを返さぬまま自分が逝っちゃったら、食い逃げと一緒だぜ。
親の恩は子で返すと言うように、今の若いもん達に力添えや尻ぬぐいしてやる事で返しちゃどうだ。
人には得手不得手がある。
もめ事を起こしたものは、揉める気持ちも判る。
長年の経験は身についたものだから、得意な事で禍根を残さぬよう出来る事もあるのかな。
昔それぞれの町内の祭で突っ張っていた連中で、情報を共有する事にした。
祭りの後で情報を交換し、記録してゆく。」
言っておけば良かったと悔やんでいる事を挙げて貰った。
若い者に伝えたい事はこんな事。
・私怨を祭に持ち込むな。
・小さな事を咎めるな。
・粋がって突っ張るな。
・祭りは皆の物、私物化は許されない。
後で思えば、それがどれだけかっこわるいかは、身を以て体験している。
・ずっと先まで祭りを続けられるよう、後継者をうまく育てろ。
・そのために、祭りは愉しみでなければならない。
・そのために、囃子方は憧れでなければならない。
祭りが終わる時
もっちゃんの卒業
てっちゃんが笛を教えた後、もっちゃんに言った事がある。
「こんな状態で、何時までも続けては居られないだろう?
そろそろ思い切って突き放せ。
最初は失敗もするだろうさ。
でも失敗を経験し乗り越えれば、確実に成長する。
二年教えたら、いっさい手を出すな。
そして卒業宣言だ。」
手の要るときだけは一区民として手伝うが、準備も当日も目を配り、手を出したいところを我慢させた。
健太は新たな仕事が増えたが、囃子だけは指導者として練習に付き合った。
花道
祭り最後の日、引き回しを終え会所前で旧囃子方による囃子披露が、もっちゃんたちの粋な計らいで実現した。
健太から聞かされていたもっちゃんが、いつも陰で祭りを支えてくれた老人達のことを青年の会合で話したので、古手の囃子方が顔を揃える事となった。
笛はもっちゃん、中胴は改心した荒くれ、端は私で、大胴はてっちゃん、鉦は健太だ。
久しぶりとは言いながら、実は密かに練習していた。
もっちゃんの笛は祭り準備の練習にずっと付き合って吹いていたから、息がそのまま音になるという感じ。
緩急に時折入る笛玉、澄んだ音色には惚れ惚れする。
前唄からにくずし、そして屋台の一回りまで吹いたところで笛を止め、きんど二人に「続けて」と言いながら、てっちゃんに笛と代わってくれと言った。
「笛の用意がない」
と言うところに、すっと健太の笛を差し出す。
てっちゃんの師匠、親父の笛だ。
てっちゃんが、良いのか?と見ると健太が頷く。
会所前に居たおふくろを見つけ笛を掲げると、おふくろは手を叩いて「聴かせて」と叫んだ。
てっちゃんは頭を下げ、笛を唇に当てた。
左肘を左前に突き出し笛尻を心持ち上げ、屋台の地の低い音から入った。
太鼓の拍子にぴたりと合わせ笛で唄う。
そして二の玉に入り、玉の後の高音で笛玉を入れた。
弱めの音で高音に入り、終盤で一気に盛り上げそこで笛玉に切り替える。
笛玉でじわじわと下げ平常の音に戻した。
いよいよ終いかと思ったら、中胴がにくずしに回せと言う。
練習で叩き込んでいない年寄りがそのまま持ちこたえられるかと危ぶんだが、皆が行こうよとうなずいた。
切り替えてにくずしに回し、体で拍子を取ると、太鼓の三人はそれに合わせ跳ねるように叩いている。
まるで踊って居るみたいに。
このままくたばるまで囃子を続けたい衝動に駆られたが、絶頂のうちに終える事を選んだ。
しばし拍手喝采に包まれた。
万感胸に迫る。
この笛披露が人生最初で最後だ。
「良い土産が出来たな」
「ああ、あっちに行くのはまだ当分先だが、最後に良い囃子が出来た」
笛の唾を切り、手ぬぐいで歌口をそっと拭い、健太に礼を言って返した。
祭りの終わり
祭りには終わりがあり、終わりの無い祭りはない。
ハレの日は、地味な長い日常(ケ)があるからこそハレなのだ。
大きなハレの花を咲かすために、力を蓄える日常に戻らなければならない。
さて、どう締めくくる?
次のハレを支障なく迎えるために、悔いを残さない事だ。
祭りは私物では無い。
地域の老若男女皆の愉しみでなければならない。
後進の苦材にしてはならない。
祭りの運営を間違えたなら、人の心は祭りから離れてゆく。
次のハレを迎えるためには、キチッと祭りを閉じなければならない。
過てば、祭りは本当に終わってしまうのだ。
そうは言っても、昂揚の後まだ火照りが残るのに幕を引くのは辛い。
山車を蔵にしまうとき、声を上げて泣く青年達が堪らなく愛おしい。
どなたかが、そう言っていたのを思い出す。
思いはどこでも同じだ。
あの日橋の上で憤る若者を消沈させた親子が、山車をしまうのを見ていた。
5年経ち子供は小学生になっている。
ふと見れば子供の目には涙が。
自身の子供時代を思い出し胸が熱くなった父親は、涙を見せぬよう子供を肩車して歩き出した。
「なんで祭り終わっちゃうんだろう。」
同じ問いに親父は何と答えたっけ。
「また始めるために、今は終わらなきゃならないのさ。」
親父の答をそのまま口にした。
遠回りになるが、浅間大社境内を通って帰る。
露天商はバタバタと店を畳み、もうやっている店はなかった。
「じいちゃんとお祭りに来たか?」
「うん、綿菓子を買って貰った!」
「そうか、よかったな」
思えば、一緒に露天を見て歩く余裕は、今までは無かったな。
来年こそは、こいつと一緒に鯛焼きを買いに来よう。
十三夜の月が、もう高く昇っていた。
終