祭にっぽん

遠音 7.祭り

祭り

祭り準備が進む。
けん坊が率先してもっちゃんの仕事を手伝い、若い者も引っ張られて分担するようになり、もっちゃんは久しぶりに体調を損ねる事もなく準備を完了した。

そして祭りが来た。

山車は会所に置き、先ずは浅間大社に参集し宮参りが行われる。会所から浅間大社まで、青年が囃子太鼓を担ぎ、子供らが囃しながら進む。山車を下りて歩きながら囃す囃しが「道囃子」と総称され、「籠丸」や「通り囃子」などが囃される。

浅間大社に実施全区が参集し式典が行われ、奉納囃子が一斉に囃された後、御幣を受領して。会所に戻る。

囃子が始まる。
するすると引き綱が伸ばされ、音を立てて山車が動き出す。

てっちゃんは山車については歩かぬが、少し離れたところで音を追って聴いていた。けん坊の笛はまだ荒い。若さゆえの力任せだ。もっちゃんの笛は緩急と締まりを意識している。あとは笛玉か。

そして中日。笛玉を聴いたような気がした。慌てて山車に駆けつけると二人一緒に笛を吹いていた。

「二丁笛か」

ちょっと似ては聞こえるが、笛玉は「断続」で二丁笛は「うなり」だ。それでもけん坊の初日の力任せの笛は少し力も抜けて今日は良い感じに吹けている。てっちゃんの姿をけん坊が見つけ、笛を吹きながら会釈した。てっちゃんは笛を吹く仕草で、左肘を張れ、笛尻は下げるなと伝えると、手を振ってどこかへ去った。

左肘は張れ、笛じりはさげるな。それは遠音を利かすための師匠の教えだった。

白尾山から

息をきらせ、てっちゃんが白尾山グラウンド脇の四阿(あずまや)にやって来た。

「おお、てっちゃん。どうしたんだ?息を切らして。」

「なに、ここまで囃子が聞こえるかと思ってな。香代ちゃんも一緒かい。年寄りのお守りご苦労さん。」

「何が年寄りだ」

自分じゃ言うが、人からは言われたくない。

「聞こえるさ。聞いた話では、囃子の音は山向こうの柚野まで聞こえるそうだぞ。」

「で、聞こえたかい?」

「俺も来たばかりだし、近場の雑音がちょっとばかし邪魔だな。時々は聞こえるんだが。」

私がここに来たのは、かみさんの希望を叶えるためだ。事故ゆえ遺言らしいものも残ってはいなかったが、共にラブレターを綴ったノートにはこう書いてあった。

「私が先に死んだなら、
見晴らしの良い丘の上から、町に向かって吹く風に私を放って。
この空を自由に飛びたいから」

かみさんは何年か前、小さなノートを二冊買ってきた。

「これにはラブレターを書くの。今の気持ちが変わらなければそのままでいい。何か変わったら、後に続けて書くの。いつかお別れがきたときに、もう話せなくなった思いをノートに託して。残った者がそれを読んで、亡骸と一緒に燃やすの。二冊ともだよ。
思いを込めて送ったらきっぱりと切り替えて新しい人生を送る。
そのために燃やすんだから」

棺に入れた二冊のノート。一冊は私が書いた感謝の言葉だ。かみさんの言葉は取っておきたかったけれど、燃やすのが約束だ。何度も何度も繰り返し読んでその言葉、その字形まで記憶し、燃やした。

死期を予感していたのか新しいインクの跡だった。

「私が先に死んだなら、出来ることなら灰も残らぬように燃やして欲しい。
でも無理だったら、どこまでも風に乗って飛んでいけるよう細かな細かな灰にして。
お墓には入れず、土に撒いて。
私を思い出す人が来る限り私はそこで応えたい。
花壇の土に撒いて好きだった花の苗を植えて。
私は好きだった花に生まれ変わるから。
川面に放って。
川を下り海に出て海流に乗り世界をめぐる。
残った灰を町の見える丘の上から風に放って。
ふるさとの空を飛びたいから。
私を知る人がいなくなれば、それが私の消える時。
実体がなくなっても、思い出す人が居る限り私はまだそこに居る。

あなたが思う時、私は必ず側に居るよ。」

 

てっちゃんは師匠である親父の言葉を思い出し、笛の音を聞きに来た。
遠くで聴く祭り囃子は郷愁をつのらせるもの。
胸に響くそんな笛が一つでも聞ければこの祭りもまんざら捨てたものじゃない。
多少なりとも師匠の笛を伝える事ができたなら一つの区切りにしたかったのだろう。
囃子の音も聞こえるが、多くの山車が曳き回されるので混じり合い、車の音や工場の音に紛れては笛の音を聞き取るまでは出来ない。

「だめかな。」

てっちゃんが少し気落ちした時、声をかけた。

「てっちゃん、見届けてくれ。」

ポケットから小瓶を取り出し、

「良い風が吹いてきた。」

そう言って、遺灰の小瓶を持ち上げ下に差し出した左手にこぼすと、掌に届く事無く風が全てを持ち去った。
暮れかかる空に舞い上がった遺灰は、風に乗り街の上空に消えた。
遠くまで届くようにと遺骨を砕き小さく小さく擂りつぶした。
風に舞い上がった遺灰はやがて落ち故郷の土になる。
雨に流されれば川を下りやがて大海を旅する。それも良い。
やがて風向きが変わり、祭りの喧噪が大きくここまで届いた。
あいつが運んでくれたのかな。

遠く聴く祭り囃子

祭りの最終日、てっちゃんはまた白尾山にいた。
祭りの最終日の夕刻には、祭り実施区は御幣を浅間大社に返納する。
その帰りに祭典本部で囃子を披露するのがうちの町内の恒例行事だと聞いたからだ。
昨日中日の喧噪では囃子を聞き取るのは無理ってもの。
ほとんどの引き回しが終えたこの夕刻、祭りの終わりを惜しんで町内一つずつが交代で囃すというその囃子を聴くためだ。両手で両耳を囲い、耳を澄ました。

「ちがうな。」

なかなか熟練し小洒落たこの囃子は、残念ながら他所の町内だ。
次に登場したのが、この祭りで聞き慣れたうちの町内だ。祭りの間ずっと囃し続けて、終わる頃が一番完成されたものになる。笛も祭り期間ずっと吹き通すと、息がそのまま歌になると言う境地。最後の最後が最高の囃子になると言うのも、なんだか皮肉なものだ。

笛が伸びやかだ。
高音も一本調子では無く、弱めに入ったものが終盤では最強となり音がすぱっと切られる。
強弱、緩急、メリハリが効いた良い笛だと思っていると、いつもは力任せのおおどが笛に引きずられ笛の聴かせどころでは抑えて叩いている。
笛も気持ちよく吹けているらしく、余力が無ければなかなか入らない笛玉を入れた。
にくずしの一回りを通常の笛で吹き、一回りを玉入れで吹き、屋台も二の玉以降を玉入れで吹いた。
よほど心地よかったものか、通常なら終わるところをにくずしに戻したのは、この囃子を終わりがたかったのだろう。

自分にも憶えがある。笛を教わる以前はおおどをやっていた。
囃子の顔ぶれはいつも変わらなかったが、息がぴたりと合い一つになったあの日の囃子は忘れられない。

「おまえら、最高じゃ無いか。」

てっちゃんはそう言うと満足そうに笑みを浮かべた。自分では全う出来なかった囃子だが、師匠の笛を後進に繋げる事が何とか出来たようだ。

師匠が言っていた言葉を思い出す。

「遠くで聴く祭り囃子が最高なんだ。」

聴く者の胸に郷愁を募らせ、思わず涙させる事が来たなら、囃子方としてもう思い残す事は無い。

帰京

てっちゃんが、晴れ晴れとした顔で店にやって来た。

「明日、向こうに帰る」

「片付いたみたいだな」

「ああ」

祭りはそれ自体が生き物で、どう育って行くかは判らない。取り敢えず悪い影響を与える芽を摘んで、途切れた伝承を繋ぎ直した。
人の良いリーダーに甘えっぱなしの若者達には、働かざる者喰うべからずを教え、リーダーと期待する笛吹きの二人には、嬉々として仕事を楽しんで見せるよう教えた。

当面の不安は払拭出来た。

「てっちゃん、悪いが頼まれちゃあくれないか」

「なんだい?」

「幸子さんに土産を用意するので、お願いしたい」

「判った。出るのは午後だから、昼過ぎに寄るよ」

翌日立ち寄ると思ったより荷物が大きい。

「悪いな、生ものと菓子なんでちょっと大きくなっちまった。」

「判った。それから、借りてた家は今月中に再訪して引き払うから、その時幸子も連れてくるよ。」

久しぶりの我が家だ。

「大きな荷物だね、引っ越し荷物かい?」

「いや、もらったお土産だ。生ものだって言ってたが、中は知らん。」

「お風呂湧いてるから汗を流して。」

そう言って荷物を広げ始めた。

風呂に入っているとき、歓声や鼻歌などなんだか賑やかだった。

「晩ご飯出来てるよ。」

風呂から出ると、懐かしい薫りがした。

それにしてもなんでこの匂いが……。

「驚いた?

奈津子さんに習ったんだよ。」

なっちゃんには、一度幸子の買い物の案内を頼んだ事がある。

それだけだと思ったら、二人は意気投合して何度か会っていたらしい。富士宮っ子のソウルフード焼きそばは、慣れ親しんだ店の味が一番だ。奈津子の母から受け継がれた匂いと味が、今ここに有る。

そんなに親しいと知っていたら葬儀に同行したものだが、知らなかったとは言え残念だ。

「実は・・・」

重い口を開き、奈津子の死を告げる。

「嘘でしょ、それならこの手紙は?」

女文字で書かれた手紙は紛れもなく奈津子のもの。生前に幸子宛に書かれたものだ。

「一度とんぼ返りで喪服を取りに来た事があっただろ。あの時がそうだったんだ。」

土産の和菓子に、一通の手紙が挟んであった。

経緯を伝えるために私が書いたものだ。

「悲しいお知らせをしなければなりません。奈津子の事です。
自転車で買い物の途中、飛び出した子犬を避けようとして転倒し、頭を打って亡くなりました。
急な事で信じられず、葬儀を終えても何も手に着かず、思い出の場所をさまよい歩きました。
今では落ち着き、店は何とか再開したけれど、吹っ切れたのは奈津子の希望通りに最後の遺灰を風に放ったときです。
幸子さんへの書きかけの手紙を見つけたので、てっちゃんに託します。
店で家内と幸子さんの二人が、焼きそばの練習を繰り返していたのを思い出し、材料を揃えました。
てっちゃんに作って上げて下さい。

アパートの片付けには一緒に来られると聞きました。
富士宮はようやく富士山の雪も定着したので、お見えになる月末には澄んだ空にきれいな雪化粧が見られるでしょう」

ほどなく、てっちゃんと幸子さんが入籍したとの報せが届いた。


解説

「遠くで聞こえる笛の音は実にすばらしいのです。」
湧玉会で長年笛を吹き、多くの町内に笛吹きを育てた有賀敏治氏は「富士宮囃子の笛今昔」でそう書かれています。
てっちゃんが言いたかったのはまさにそれでした。
囃子を率いる笛吹きは緩みを見せずに姿勢を決め、遠音を効かすために笛尻は下げるなと伝え、その音を確かめるために白尾山に向かったのでした。

マスターは亡き奥さんの希望を叶えるために、やはり白尾山に来ていました。
マスターは遺灰を風に放ち区切りをつけましたが、てっちゃんは悪条件で確認出来ません。最終日夕刻に出直し、耳に手を当てて祭典本部での囃子披露を聴いていました。

その耳に届いた我が町内の囃子は、これ以上無い最高の囃子だったのです。
てっちゃんは、ようやく長い事引きずっていた祭りを終える事が出来ました。

 

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